モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

クレーマーからの脱却

以前、ダグラス・ラシュコフと彼の著書"Life Inc."のことを書いた。彼はこの社会と人々の人生が、いかに「企業」に支配されているかを説き、「脱企業の社会」を訴えた。


ラシュコフが"life Inc."を世に出してから12年が経つ。彼の主張の通り、世の中は変わってきたのだろうか。人々は、人間性を奪う「企業主義」から逃れ、個人や地域での生活を見直し、生き方を変えたのだろうか。

残念ながら、僕にはそう思えない。確かに、環境問題や経済格差、人種差別など世の中の問題が表に出ることは、以前に比べて多くなった。しかし、それらの問題を正面から捉え、あたらしい考え方のもとに行動を起こした人々は、少数にとどまるのではないか。見かけ上の景気回復によって、雇用率やGDPといった数値は改善したかもしれないが、それは人々を開放したのではなく、さらに「企業主義」を強める結果になったのではないだろうか。


世の中にはびこる「クレーマー」の数は、社会の息苦しさを反映するバロメーターだと思う。息苦しさは、クレーマーが訴える問題にあるのではない。彼らが自分に不快なことを問題だと思う、その心自体が問題なのだ。クレーマーは、自分が感じる息苦しさを他者に転嫁することで、なんとか自分の人生を意味あるものに思おうとしている。本当の問題を直視し、それに対して行動を起こす代わりに。その多くは、いじめやパワハラと通ずる、汚い心の表れだ。

誤解がないように付け加えたいのは、自分のためではなく、世の中をよくしようという抗議であれば、クレーマーと呼ばれることはない、ということだ。もしあなたが直接行動を起こさないとしても、クレーマーと改革者を区別できる見識を持つ努力はしなければならない。


沈みゆく船の上で、他人よりいい場所を奪い合っても仕方がない。遅かれ早かれ、死は訪れる。死を避けるためには、船が沈まないようにみんなで力をあわせて修理をするか、一刻も早く別の船に乗り移る、という大きな決断が必要だ。そのためには「自分が死なないためには」という小さな視点を、「誰もが死なないようにするためには」という思想に変えなければならない。そこから、より強く、大きな解決策が生まれるはずだ。


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