モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「ガラパゴス化」を利用して「オタク気質」を開放せよ

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「日本に興味をお持ちの方なら、最新テクノロジーと全く時代遅れのテクノロジーの間にある、時に印象的な二項対立が多くの場所で並存していることにお気づきかもしれない。お台場の人工島に実物大ガンダム立像を設置したロボット工学の世界的リーダーであるこの国は、2022年のウィンドウズ・エクスプローラーのシャットダウンに慌てふためき、いまだにフロッピーディスクやファックスに頼っているトップリーダーの一国でもある。」

日本のウェブサイトの「異質性」の背景を、日本になじみのある米国人が考察する文章。なかなか興味深い。

これを読んで、僕が企業の駐在員として米国に住んでいた、90年代終わりから~2000年はじめのことを思い出した。若い人は信じられないかもしれないが、当時は、この文章とはまったく逆の状況だったのだ。

日本からの出張者と米国のパートナー企業の社員が会議をする時、米国人はたいてい文字だらけの資料でプレゼンしていた。一方、日本からの同僚は写真や絵や図表をふんだんに使った(当時としては)とてもビジュアルな資料を使っていた。また、当時はちょうど携帯電話が普及し始めた頃だったが、米国人が小型トランシーバーのような大きくて重い携帯電話をうれしがっていたとき、日本からの出張者はすでに胸ポケットに入るような、小さくておしゃれな携帯電話を持ってきていた。僕はそれを見て、内心「日本はすごいな」と思い、少し誇らしかった。日本は経済でも技術でも文化でも、世界のリーダーになるに違いないと。

でも、残念ながら日本の進化はそこで止まってしまった。じわじわ、だらだらと続いた低迷は、「茹でガエル」には気づきにくい。一人あたりGDPや所得、物価に大きな差ができた今となって、ようやく「なんでこうなったのだ!?」と騒ぎ始めている。いや、まだ多くの人は、「茹でガエル」のまま幸せな幻想に浸っているのかもしれない。「失われた30年」にも気づいていないのだ。

これからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。そう考えても答えはなく、ただ絶望に近い感情が生まれるだけだ。そんなこと考えずに、とりあえず今日を楽しく生きよう、と思うしかない。それがさらに状況を悪化させると知りながら。

ここまで来れば、ある種の「逆転ホームラン」に望みをかけるしかない。世界に取り残された日本であることを逆手に取って、あえて「ガラパゴス化」を進めることで、逆に世界とは異なる、あたらしいものを生み出せないだろうか、と考える。

日本はよく「職人文化」だと言われる。現代の言葉なら「オタク文化」。それが日本の、日本人の伝統的な強みなのだ。そこを先鋭化させて、世界の職人技術、世界のオタク文化を開花させてはどうか。組織の「同調圧力」に従う日々より、自分の創造力を開放することこそ、本来の日本文化だと僕は思う。それこそ、古来から日本人が楽しんできたことだと思うのだ。