モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

Mさんへのメッセージ

Mさん、昨日はメッセージありがとう。

5年近く住んだアメリカから離れて、もう15年以上。最近はすっかり日本の文化に浸かって、アメリカにいた頃のことをどんどん忘れていってますが、米国に長らく住んでいるMさんや、何人かの米国在住のFacebookともだちの投稿で米国の様子を知ることができるのは、嬉しいことです。ものぐさな僕は、昔の知人に手紙やメールを送るようなこまめさがないので(今や年賀状の返信さえ書かなくなってしまった!)、あまり努力せずに他の人と繋がっていられるSNSには感謝しています。


今回の大統領選をニュースでみていて、僕がアメリカにいた頃、ちょうど、ブッシュとアル・ゴアの選挙があったことを思い出しました。フロリダ州の集計疑惑についてもよく覚えています。それと、人々の政治への関心の高さ。当時、息子はElementary Schoolの1年生だったのですが、学校の後通っていた学童保育みたいな場所(英語でなんといったかな)で、そこの先生が、子どもたちに「あなたはブッシュとゴアどちらに投票しますか?なぜですか?」と聴いていました。大人の僕でさえ、とっさには答えられない質問で、こんな小さな子どもに答えられるのかな、と反射的に思ってしまいました。しかし、小さな頃からそういう教育を受ける、というか、大人が子どもを一人の人間として扱う文化が、人々への政治への関心を育てているのでしょうね。日本では、いまだに、学校でも会社でも政治の話はタブー。生徒の政治的な活動を禁止する、と堂々という学校もあります。政治の話をする人間は煙たがられる雰囲気です。僕には米国の方が健全だと思えます。ただ、政治的関心の強さが、強い分断を生む基盤にもなっているのでしょう。


米国にいた当時、一緒に働いていた企業のエンジニアの一人と今でもFacebookでつながっていますが、彼(白人)はかなりのトランプ派です。もっとも彼と政治の話をしたことは一度もないし、彼のほとんどの投稿は政治とは関係のないもので、ジョーク好きで、家族愛に溢れたナイスガイです。そもそも、日本人である僕と進んで友だちでいてくれるのだから、差別心が強い人間ではないと思います。ただ、トランプのことは心底応援している。もし僕が普段の彼を知らずに、ただトランプ支持者だと知ったら、彼はきっと利己的で人間的に欠陥があるのだ、と思って近づこうとしないでしょう。たまたま彼のことをよく知っているから、彼がトランプを応援していても、彼はけっしておかしなやつではない、と考え直せます。そして、彼がトランプを応援する気持ちも少しはわかる気がします。それは、(白人としての)一種のプライドであり、旧来の権力者への反感であり、家族や地域の人々を大切にする公共心なのだと。自分のことだけでなく、自分が属するコミュニティを大事にしようという気持ちが強い人ほど、むしろトランプを支持するのかもしれない。リベラルとの違いは、自分が大事だと思うコミュニティの対象と大きさだけなのかな、と。


日本では、いうまでもなく、安倍政権(とその周囲の人たち)が好きか嫌いか、で人々は2つにわかれています。ただ、日本人のほとんどは、政治に関心がない、というのか、政治のことを知ろうとしないので、米国ほど表立った分断にはみえません。内にもぐっているから、実態がわからず、より怖いようにも思います。人前で政治の話をしない、というのは、ねじまがった防衛本能だと思います。政治のことを人前で語ると「危険なやつ」と思われる、と自分で勝手に思っているわけです。ある種の「自発的隷従」といえるかもしれません。これは、政治とは何かを考えると、すごくおかしなことだと思うのですが、そういう僕も普段は政治のことはあまり話さないほうがいいかなと感じている。Facebookでもかなり抑えているつもりです。抑えているといっても、他の人よりは政治に関する投稿をしてますけどね。実は僕にとても近いところにも、安倍信望者がいて、ほんとうはもっと接しなければいけない人なのだけど、どうしても近づきがたく、避けてしまっています。別にその人と政治の話をするわけではないし、常識的で真面目で頭のいい人なんだけど、政治的信条の違いがあることを知ると、なぜかその人を認められない。それは偏った見方だと頭ではわかっていても、公平に接することはできない。人間というは非合理的で弱いものだと思います。


そんな状況をどう克服すればいいのだろうか。最近読んだ本に、資本主義の宿命として、人々はどんどん短期的利益を追求するようになる、だから、日頃から、短期的利益に走ろうとする気持ちをおさえて、長期的利益に目を向ける努力をしなければいけない、という主旨のことが書いてありました。これは実感としてとても納得できる意見で、ここに現状克服のヒントがあるのではないか、と直感的に思いました。たとえば今、「世界平和が大事だ」などというと、特に日本では、なんだか冷たい目でみられるでしょう。そんなことよりビジネスの話をしようぜ、みたいな空気。ビジネスの話でも、世の中に貢献する本当のビジネスなら全力で取り組むべきですが、多くの人は、ビジネス=お金儲け、という短期的視野しかないように感じます。そんな人々に「(人類にとっての)長期的な利益」に目をむけさせることができれば、結果として、現在の分断を弱められるのではないでしょうか。実際、人種・民族・性別などによる差別、経済的格差の拡大、環境・エネルギー問題など、地球規模で考えれば、これまでになくさまざまな問題が露呈しはじめているわけで、そういった問題を単なる情報として捉えるのではなく、自分に関わりのある「自分ごと」として捉えることが必要ではないだろうか。やや陰謀論めいた話になってしまいますが、今の権力者は、人々から長期的視野を奪うために、「甘いお菓子」をぶら下げて、短期的利益にばかり目を向けさせているのではないか、とさえ思います。


なんだかまとまりがない話になりました。とにかく、こんなことを漠然と考えていた僕にとって、Mさんとのやりとりのきっかけとなった上祐史浩氏の投稿は、とても納得がいくものでした。「元オウム真理教広報」の言うことなんか信じられるか!という偏見をなくせば、彼の投稿は、多くの人がが見ようとしていないことに目を向けさせ、大きなヒントを与えてくれると思ったのです。だから、それにMさんが反応してくれのは、嬉しかったです。


時間がたって、世の中全体の雰囲気が変われば、人々の感じ方や考え方も変わって、今は二分されている人々も、再び近づいていくのではないでしょうか。なんとなくでしかありませんが、そう信じています。今現在は、たまたまある力に引っ張られたために、あるものは見えてもあるものが見えないといった状態にいても、まわりの力(「空気」や「場」のようなもの)が変われば、さまざまなものを、異なった視点から公平に見られるようになるのでは、という希望をもっています。自分自身も、そうなれることを信じたいです。