モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

さまざまな知恵の結集をうながす仕事

マスメディアは広く情報を集め伝えてくれるが、個々の具体的なことを深く掘り下げてはくれない。 専門家は特定の領域のことは深く緻密に分析してくれますが、専門外のことや曖昧なことは扱ってくれないのだ。

知識がより広範に高度化している現代では、両者の溝を埋める活動がますます必要になっていると思うのだが、そういうものはまだ「仕事」としては確立していない。自由主義経済がより強固になる中、「金にならない」活動は、たとえ長期的な価値は認められても、継続は難しい。自由主義経済にどっぷりと浸かる中でそう思い込んでしまっているだけかもしれないが、少なくともそういう空気は社会で共有されていると実感してきた。

それでも、そんな「金にはならないけど価値がある」仕事を続けている人たちは数多くいる。けっして特殊な人たちではなく、たとえば、地域を暮らしやすくするボランティアや、様々な理由で困っている人を支援する活動、専門的なことを一般市民に正しく、わかりやすく「翻訳」する活動などだ。いわゆる人道的な活動だけでなく、IT分野でのオープンソースのプログラムは、この分野の発展に大きく寄与してきた、というより、オープンソースがなければ今のITの発展はなかった、といってもいい。

周りに目を向けると、そんな「お金にはならないが社会に貢献している」活動に取り組んでいる人たちがたくさんいて、自分自身も普段、様々なかたちで助けられているのだな、と気がつきく。自由主義経済全盛の時代にあってもなお、「経済」と呼んでいるものは私たちの社会活動のほんの一部、少なくとも大半を占めていることはなく、「お金にならないこと」に懸命に取り組んでいる人たちのおかげで私たちの社会は成り立っているのだ。


冒頭のマスメディアと専門家の話に戻る。マスメディアと専門家、その両者をつなぐ活動は、社会に関わる知識や技術が高度化するにつれて、ますます大事になっている。日々生じる様々な問題・課題は、旧来の学問では太刀打ちできないものもおおい。これまでの分野にとらわれない様々な事実や知見を集めて、邪魔なしがらみにとらわれることなく、人間として誰もが持っている直観を大事にしながら知恵をあつめて解決方法を探るためには、様々な人を結集し、「1+1を2以上にする」ようなあたらしい活動が必要だ。

それは、これまでになかった仕事であるゆえに、良い意味での「素人」の視点で取り組む活動ともいえる。そういうものが、これからの社会の重要な要素になって欲しい。そのためには、「今すぐお金にはならないが将来社会全体に貢献する」仕事に、人々がインセンティブをもつような社会を作らなければならない。


そのために何ができるかを考えていきたい。

日本人は「パフォーマー」?

gigazine.net


以前いた会社で最初に配属された部署に、Sさんという10歳ほど上のチームリーダーがいた。Sさんは超優秀で、どんな仕事もささっと片付けて、他の人に気兼ねすることなく定時退社していた。

僕がその会社をやめてからしばらく後、そのSさんが社長になったことをニュース記事で観て、驚いた。と同時に、ちゃんと本質で評価するいい会社だったんだな、と思った。


ところで、「忙しそうに見せるだけの無駄な仕事」を「パフォーマティブな仕事」というんですね。ならば、「パフォーマー」は「忙しそうに見せているだけの人」というニュアンスがあるのかな。

「分断」を超えるためには

毎日、マスメディアやSNSで、さまざまな出来事が伝えられる。その中には違和感を感じるもの、怒りを覚えるものも少なからずある。いや、「少なからずある」というのは控えめな表現で、本心では、毎日そういう出来事ばかりだと思っている。


心穏やかに暮らすためには、そんな嫌な思いをする「出来事」は無視して、楽しいものだけに目を向ければいいとわかっている。でも、一方で、自分のいる社会の本当の姿に目を向けなくていいのか、とも思う。本当の姿を知ったところで何もできないかもしれない。しかし、それを知り、直接、あるいは間接に、感じた違和感や怒りを率直に表明することは、微力ではあるが、この社会をよりよいものにすることに貢献するはずだと思う。


ただ、そういう違和感や怒りを表明することは、軋轢を生むことも事実だ。どんなことでも多面的な見方がある。すべての人が同意見のことはほぼないと言っていい。だからこそ、日々様々な問題が起きるのだ。


軋轢はやがて分断をうむだろう。同じ場所・文化の中で暮らす人々が分断されることは良くないことだ。それはほとんどの人が同意するだろう。しかし、個別の問題に目を向けた時、人々は社会全体の大きな理想を忘れ、目の前の小さな利得に懸命になってしまう。


進歩、すなわち、一段高いレベルに到達するには、「正」と「反」の対立が必要なのだとすれば、一時的な「分断」も意味のあることかもしれない。しかし、永遠の分断はまったく逆の結果をもたらすだろう。


そのような「分断」をどのように乗り越えればいいのだろう。そんなことをずっと考えている。


逆説的な考えだが、僕は、さらに「分断」を進めることだと思う。そもそも、この複雑な世界を、2つや3つの考えに分けることが無理なことなのだ。ある問題に対して2つの対立する見方があったとしても、そのどちらも細かく見ていけば、さらなる「分岐」がある。それぞれはさらに細かく分岐する。それは、フラクタル図形のように続くのだ。そして最後は「個人」というものに行き着く。


結局は、生まれた国や、生活する地域や、所属する組織に縛られず、個人としてどう思うかを考えるしかないと思うのだ。

その点で、もっとも怖いのは「考えなくなる」ということ。「寄らば大樹の陰」「長いものにまかれろ」をテーゼに生きる人が増えることは、無用な分断を生み、それを継続させてしまう。


日々、違和感を感じた出来事をただ表層的に眺めるのではなく、その違和感の元になった出来事に目を向けて「自分はこう思う」と考えてみることからはじめてはどうだろう。それに対して、異なる意見も出てくるだろう。その時、そこでやめずに、議論をしてみることだ。相互の理解を得るにはそのような地道なやりとりしかない。

「群雄割拠」の時代は創造的である

digital.asahi.com


世界的なIT企業が、プラットフォーマーとして情報の多くを牛耳るようになるにつれ、既存のメディアは苦しい立ち位置に追い込まれている。

「情報」はそれ自身が広がっていく性質を持つため、一度発信した情報は多かれ少なかれコントロールできなくなる。広がった先で対価を回収しようとしても難しいのだ。だから、情報は、それを発信するところで対価を得るのが好ましい。

そのバランスが、ITプラットフォーマーの影響力が増すにつれて崩れ始めている。情報の受け手が直接対面するプラットフォーマーの力が強くなり、情報のつくり手でかつては流通もになっていた旧来のメディアが、単なるつくり手、すなわち、下請けになっていく。

この構図はメディアに関わることではない。むしろメディアはこの変化が遅れてきたのであって、農業や製造業の多くは、たとえ大手であれすでに実質的に「下請け」になってしまった。

そのような危機感を抱く人々は、自分たち独自のプラットフォームを作ろうとしているが、なかなかうまくいかない。プラットフォームの構築では「規模」が重要なファクターなので、群雄割拠の状態ではメリットは少ない。その中から抜きん出た少数のものしか生き残れないのだ。

それが現在の、ITプラットフォーマーの寡占状態だ。

「つくり手」の立場からこの状態を打開するにはどうすればいいのだろう。そのひとつは、つくり手たちが結集して旧来のメディアや新興のプラットフォーマーに対抗できる新しいマスメディアを作ること、もうひとつは小さくても特定の分野に特化し、持続的に活動を続けられる「マイクロメディア」の道を探ることだろう。

僕は、後者の方法に賛同する。それはビジネスとして成功する確率ではなく、超権力(スーパーパワー)の下に単一化・画一化する世界は望ましいものではない、と考えるからだ。多数の組織に権力が分散し、お互いに議論し切磋琢磨することで、よりよい未来が作られる、と信じている。

「群雄割拠」の時代は不安定であるが、だからこそ創造的なのだ。

マイナンバーを導入する前にするべきこと

 

 

マイナンバー(カード)について色々と言われていますが、零細企業の経営者として一言。

マイナンバーの導入によって、企業には、従業員の税務や社会保険の手続きにおける「マイナンバーの適切な管理」というあらたな義務が生じるようですね。もし、雇用先企業から誤って従業員のマイナンバーが流出したら、その企業が責任を負うのですか?やめてくださいよ。

前々から主張しているように、企業が、税務署に成り代わって、しかも無報酬で、従業員の税や社会保険を天引きしていること自体がおかしいのですよ。

マイナンバー導入によって個人のお金の流れが明瞭になるのなら、企業での天引きは即中止して、すべて個人の確定申告にするべきです。副業や投資が当たり前の時代、一企業での天引きでは正確な税・社会保険の計算はできないですしね。

個人も、間違いなく税や社会保険への意識が高まりますよ(行政はそれが嫌なのかもしれませんが)

マイナンバーの都合のいいところだけPRするのはやめてほしい。

マイナンバー導入によって行政の負担が減る、なんて言われると、カチンときますね。

 

===<Money Forward 民間事業者がマイナンバーの取扱いで注意すべきポイントとは>===

https://biz.moneyforward.com/payroll/basic/49646/


「○○さん、マイナンバー教えて」と聞くだけでいいのかというともちろんダメで、きちんとルールが定められています。まず、事業者が従業員にマイナンバーの提供を求め、取得できるのは、社会保障・税に関係する手続き書類の作成業務に必要な時だけです。例えば源泉徴収票を作る、あるいは年末調整の書類を作るといった目的がなくてはならないのです。

最も注意しなければいけないのは、保管をするにせよ、廃棄をするにせよ、常にマイナンバーの安全管理措置は講じておく必要がある、という点です。そのため、保管や廃棄に関しても社内ルールを設け、それを担当者などに浸透させておかなくてはなりません。

馬鹿を隠すなんて馬鹿のやること

同世代にはよく「若い時は無茶苦茶やったもんだ」と自慢げに話す人がいるのだが、それは要するに「若い頃は馬鹿だった」と白状しているようなものだ。相応の歳になってからそんなこと自慢げに言うのは、今もまだ馬鹿です、とバラしているに等しい。そのことに本人だけが気づいていない。まさに馬鹿だ。

対して、今の若者は概して賢い。賢いから馬鹿なことはしない。たとえ馬鹿なことをしても自ら他人にバラしたりしないのだ。まだ先の長い人生で、馬鹿なことをやったという事実はメリットよりデメリットの方が大きい、と即座に計算できる。

(たまに馬鹿なことをやって、それをわざわざSNSに投稿して炎上してしまう、昔ながらの馬鹿な若者もいるが、それを見て「言語道断」などと言っているのは、「昔馬鹿なことをやった」と自慢する大人だったりする)

 

要するに今の大人たちは生まれてから今に至るまで、ずっと馬鹿なのだ。馬鹿なのに馬鹿でないふりをしているのが、まさに馬鹿である証拠だ。

どうせ馬鹿なら、せめて晩年くらい馬鹿をさらけだそうではないか。最後まで馬鹿を隠し通して死ぬなんて馬鹿のやることだ。

 

私はがこんなことを書いているのは、なにも開き直って自暴自棄になっているからではない。世の中が発展するためには馬鹿が必要である、という歴史的事実に基づいて極めて合理的な意見を述べているだけだ。生物の種が生きながらえてきたのは「突然変異」のおかげではないか。

 

つまり、今の若者が賢いのなら、今の老年が馬鹿になってあげないと、世の中の馬鹿バランスが崩れてしまうという危惧から、こんな一見「馬鹿げたこと」を言っているのだ。馬鹿がいなくなるのは社会の発展上よくない。この馬鹿不足の世の中に馬鹿を表明することこそ、賢者の証である。