モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

新聞が生き残るためには

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確かに「エモい」新聞記事が主役になるのはどうかと思う。しかし一方で、誰もが「エビデンス」を求めている、というのも少し違うと思う。入手がそれほど困難ではないエビデンスなら、それこそネットで調べた方が早いし、一次ソースから入手したほうが、量も質もより優れている場合もあるからだ。

新聞というメディアの価値は何なのか。僕は、普通の人々には簡単には手に入らない情報を入手する能力を持っていることだと思う(少なくとも以前の新聞はそうだった)。

新聞が生き残るためには、その「調査能力」を見直し、さらに強化し、その能力を人々に「見せつける」記事を書くことだと言いたい。必要なら時の権力にも対峙し、真実に一歩でも近づこうとする勇気と気概を持った、人々の未来のために戦う「先兵」の姿をみせることだ。

そんな、優れたジャーナリズムとしての調査能力こそが、一般の人々はもちろん、ネットに乱立する新興メディアにも、政府の下で運営される公的機関にもできないことであり、さまざまな「メディア」が登場する中で、それしか残らないのではないだろうか。(その文脈で付け加えるなら、記者クラブのような、特権的で閉鎖的な空間を作って他の新興メディアと安易に差別化しようとするのは、真実を追い求める姿とは真逆の、権力の傘を借りた情けない太鼓持ちに映るだけだ)

人々が望んているのは、大多数の普通の人々のために、あるいは人類の未来のために、真剣に戦ってくれる新聞の姿だ。それは、様々な理由で今は埋もれた、あるいは、抑圧された「声なき声」かもしれない。しかし、その声がわからない新聞なら、なくなっても仕方がないと思う。

80億総マウント社会を乗り切るマウントフルネス〜「人生が整うマウンティング大全」by マウンティングポリス

これまで「マウンティング」という言葉を度々耳にしてきたのだが、実はマウンンティングとは何か、よくわからなかった。

そんな中、先日たまたま聴いていたポッドキャスト(「好書好日」)で紹介されたのがこの本、「人生が整うマウンティング大全〜 MOUNTFULLNESS」。

筆者のマウンティングポリス氏は、「3万以上の事例を収集・分析してきたマウンティング研究家」であり、この本は「80億総マウント社会を乗り切るためのナレッジを集大成」したものだそう。

何だそれは?と思いつつ、まんまと興味を惹かれてしまって、即Amazonで購入し、読んでみた。

その結果、何がマウンティングなのかが‥‥ますますわからなくなったのである。


本の前半は「マウンティング図鑑」と題して様々なマウンティングを紹介しており、最初はニヤニヤしながら「そうだよなー」と心のなかで同意しながら読んでいたが、あまりの事例に「こりゃ、何を言ってもマウンティングだな」と打ちのめされる。この時代を生きる私たちは、マウンティングから逃れられないのだ、と絶望感に襲われた。

そんな読者の心の動きを見透かしてか、後半は、マウンティングを自身の人生の味方につける「マウントフルネス」をいかに実現するか、という希望を語りはじめる。

想像の中とはいえ、膨大なマウンティング事例にただ途方にくれていた僕は、筆者に導かれるままマウントフルネスの世界に踏み込んでいく。「マウンティングを制するものは人生を制する」というのが筆者の主張に、すがるように…。


結局、「何がマウンティングか」はいまだにわからない。しかし、人生において何が大事なのか、という結論はいたってまともで納得できるものだった。

これからの人生で様々な「マウンティング」に出会っても、冷静に対処できるかもしれない、という自信が芽生えた気がする。もっと言えば、これからどんなマウンティングに出会えるか楽しみにしている自分がいる。大げさに言えば、人生という旅の中で、見える風景が変わったのかもしれない。


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下に、本の中からいくつかキーワードを抜粋した。ピンときた人には、ぜひお勧めしたい本だ。というより、そんなあなたは、僕が勧めるより先に、自発的に読み始めるだろうが。



「ニューヨークマウント」「空港マウント」「名門校出身マウント」「古典愛読マウント」「アート愛好家マウント」「俗世解脱マウント」「質素マウント」「地方移住マウント」「自民党呼び出しマウント」「著名人と知り合いマウント」「感謝マウンティング」「謙遜マウンティング」「『マウントさせてあげる』が超一流の処世術」「ビジネスの成功は『マウンティングエクスペリエンス(MX)」「『マウント消費』活性化による経済成長」「マウント暗唱例文」「独自のマウンティングポジションを確立する」
(‥書くだけでお腹いっぱい笑。)


今、戦闘機開発の勉強をしている場合じゃないだろう

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「――日本からなら次期戦闘機を買いたいと考えている国もあるのでしょうか。

 ないと思います。飛行機は売った後のサポートがすごく面倒くさいのです。日本は経験がありません。」


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青木謙知氏の言葉は厳しいですが、おっしゃる通りでしょう。

それでも政府が頑なに武器開発にこだわるのは、はるか先の「まともな軍隊をもつ国家」を夢見て、その布石を打ちたいから。「軍事化」という言葉を聞くと、反射的にドーパミンが出る人たちが政治をやっているからです。

これまで、経済格差や少子高齢化社会保障財政赤字、様々な不平等・差別、そして科学技術をはじめあらゆる分野での日本の凋落。そんな、日本のあまたある問題にはすべて後手後手に回っていた日本の政治家たちなのに、こと軍事となると、非現実なほど先手を打つんですね。

今、何十年も先の「安全保障」を考えることに、いったいどれくらいの意味があるのでしょうか?少なくともそれは、優先度の高い問題なのでしょうか?それまでに日本という国が自ら崩壊しているかもしれないのに。

今現在と、これからの数十年の日本にとって何が大事なのか。そのことを、冷静に客観的に考えるために、あらゆる知恵を本気で結集しようという考えと行動力をもった人に、一刻も早く政治をやってもらいたいものです。

夢の中に出てくる異性はあなたのことを好きなんです

夢の中に、知っている異性が「いい感じ」で出てきた時、現代の人なら「自分はあの人に好意を持っているのかも」と考えると思うのですが、昔の人々は逆に「あの人が夢に出てきたのは、きっとあの人が私に好意を持っているからだ」と考えたそうです。

以前そんなことを聴いて、「昔の人はなんて自信過剰でお気楽だったんだ」と、ある種の迷信だと思ってました。しかし、もしかしたら、日常で相手と接した時に、意識レベルでは気づかないような些細な表情や仕草や声などから、人は無意識のレベルで相手の「好意」を感じ取ってるのかもしれません。そんな、意識には上らない、無意識が受け取って脳の中のどこかに格納されたメッセージを、睡眠時に引き出して「あなたは気づいてないだろうけど、今日、こういうことがあったんだよ」と、無意識から意識に報告しているのが「夢」と呼んでいるものなのかも。

そうだとすると、ある人が夢に出てくるのは、自分がその人に好意を持っているというより、相手が自分に好意を持っている、という昔の人の考えの方が正しいのかもしれないぞ!

‥などと思いついて、ちょっと嬉しくなってる自分は、なんて自信過剰でお気楽なんだろう。

国民に脱税許可を出してください(けっこういいかも)

今話題の政党の方々は「派閥を政策集団に改める」とか。今回もまた「何を今さら感」あふれる「異次元」ぶりです。脱税のペナルティとか裏金の使い先の公開とか、どうなったのでしょうか。

 

政治家さんは裏金を許してほしいと思ってますよね。そこで提案です。


来年度からしばらく、法人個人かかわらず全国民に「裏金・脱税許可」を出してはどうでしょうか。所得税、消費税、その他の税、何でも脱税OKにするんです。

 

そうなったら、みんなここぞと頑張ります。その結果経済も良くなるかもしれませんよ。一生の思い出に「巨額脱税の」スリルを味わってみたい。そんな人も多いでしょうから内閣支持率も上がりますよ、きっと。

 

うまい脱税方法を考えた人は表彰してはどうでしょう。将来の脱税取り締まりの良いデータになります。そう、優れたハッカーにシステムの侵入をやらせるのと同じ理屈です。まずは悪い奴らの手口を知らねばなりませんから。

 

脱税天国となれば海外からの投資も集まるでしょう。そのお金を投資に回せば国内産業も飛躍します。

 

脱税で経済成長。画期的な政策ですよ。J民党のみなさん、どうですか。

組織に押しつぶされそうになったら

もしあなたが組織の圧力に押しつぶされそうになっているなら、組織を離れることも考えて欲しい。あなたが押しつぶされそうに感じるのは、あなたが正しい考えを持っている証ですから。

そんなあなたなら組織から離れても大丈夫ですし、あなたのような人こそ世の中が求めている人なのです。隠蔽や改竄を言われた通りやる人より、遥かにずっと。

自信を持って、みんなのために一歩を踏み出してください。

 

 

「ガラパゴス化」を利用して「オタク気質」を開放せよ

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「日本に興味をお持ちの方なら、最新テクノロジーと全く時代遅れのテクノロジーの間にある、時に印象的な二項対立が多くの場所で並存していることにお気づきかもしれない。お台場の人工島に実物大ガンダム立像を設置したロボット工学の世界的リーダーであるこの国は、2022年のウィンドウズ・エクスプローラーのシャットダウンに慌てふためき、いまだにフロッピーディスクやファックスに頼っているトップリーダーの一国でもある。」

日本のウェブサイトの「異質性」の背景を、日本になじみのある米国人が考察する文章。なかなか興味深い。

これを読んで、僕が企業の駐在員として米国に住んでいた、90年代終わりから~2000年はじめのことを思い出した。若い人は信じられないかもしれないが、当時は、この文章とはまったく逆の状況だったのだ。

日本からの出張者と米国のパートナー企業の社員が会議をする時、米国人はたいてい文字だらけの資料でプレゼンしていた。一方、日本からの同僚は写真や絵や図表をふんだんに使った(当時としては)とてもビジュアルな資料を使っていた。また、当時はちょうど携帯電話が普及し始めた頃だったが、米国人が小型トランシーバーのような大きくて重い携帯電話をうれしがっていたとき、日本からの出張者はすでに胸ポケットに入るような、小さくておしゃれな携帯電話を持ってきていた。僕はそれを見て、内心「日本はすごいな」と思い、少し誇らしかった。日本は経済でも技術でも文化でも、世界のリーダーになるに違いないと。

でも、残念ながら日本の進化はそこで止まってしまった。じわじわ、だらだらと続いた低迷は、「茹でガエル」には気づきにくい。一人あたりGDPや所得、物価に大きな差ができた今となって、ようやく「なんでこうなったのだ!?」と騒ぎ始めている。いや、まだ多くの人は、「茹でガエル」のまま幸せな幻想に浸っているのかもしれない。「失われた30年」にも気づいていないのだ。

これからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。そう考えても答えはなく、ただ絶望に近い感情が生まれるだけだ。そんなこと考えずに、とりあえず今日を楽しく生きよう、と思うしかない。それがさらに状況を悪化させると知りながら。

ここまで来れば、ある種の「逆転ホームラン」に望みをかけるしかない。世界に取り残された日本であることを逆手に取って、あえて「ガラパゴス化」を進めることで、逆に世界とは異なる、あたらしいものを生み出せないだろうか、と考える。

日本はよく「職人文化」だと言われる。現代の言葉なら「オタク文化」。それが日本の、日本人の伝統的な強みなのだ。そこを先鋭化させて、世界の職人技術、世界のオタク文化を開花させてはどうか。組織の「同調圧力」に従う日々より、自分の創造力を開放することこそ、本来の日本文化だと僕は思う。それこそ、古来から日本人が楽しんできたことだと思うのだ。