モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

都合よく「真実」を作り出す「知識人」

一般論として書きますが、これまでデータの可視化、という仕事をしてきて発見したのは、データはどんなふうにも見せられる、ということです。言うならば、データを可視化するとは、データという役者を使った演出。人為的な作業です。

 

だからといって、データは客観的ではない、信じられない、と言いたいのではなく、その逆で、データを可視化する時は、できる限り背後にある真実を伝えようという意識が必要だ、ということです。そして「背後」といっても、タマネギの皮みたいに何層にもなっていて、どこまで行っても「これが真実である」という確信は得られない、という謙虚な姿勢でなければならないのです。

 

自分に都合の良いようにデータを切り取りメディアを使って「真実」を作り出す「知識人」は、確信犯か、でなければ、それを語る能力のない人たちだと思います。

 

消費税は問題の多い税制だ

僕は、消費税は廃止すべきだと思います。あるいは少なくとも消費税徴収のシステムを変えるべきだと考えます。

 

その理由は、巷で言われる格差の是正や経済を良くするためだけでなく、今の消費税は税制として色々と問題があるからです。

 

その一つがこの消費税の滞納の問題です。消費税は税金の中で最も滞納額が多い。その原因は消費者に代わって事業者が消費税を納めると言う仕組みにあります。

 

末端の消費者はちゃんと消費税を払っている(取られている)つもりでも、事業者はその税を納めていないケースも少なくないのです。

 

消費税廃止のもう一つの理由は、給与所得者が過度な負担を強いられていることです。

 

給料には事実上消費税がかかっています。しかし、給与にかかる消費税は、給与明細には書かれず、雇用主が「そっと」源泉徴収しているので、被雇用者は消費税がかかっていることを意識しない仕組みになっています。

 

これだけでも卑怯な税制だと思いますが、もっと悪いのは給与所得者は経費を認められていないことです。

 

被雇用者は、売り上げ(給料)の消費税は満額取られるのに、経費(日々の生活費)の消費税はまったく相殺されないということになっています。

給与所得者は消費税取られ損なのです。しかも、消費税を滞納する雇用主の利益を増やしているだけだったりします。

 

この状況を(現行の法律の下で)改善するには、すべての人が「日常生活を営なむ」ことを生業にする自営業者になって、日々の生活費を経費として計上することです。そして税の源泉徴収はせず、当事者である各世帯が、その収支に連動して、正しい消費税を納めることです。

 

すべての人(世帯)が確定申告をするようになれば、税制のことを意識するようになるでしょうし、少しは公平な税制に近づくと思うんですけどね。



「超下請け社会」からの脱却

USBメモリ紛失事件に端を発して、巷では大企業の中抜きや何層にもわたる下請け問題が今さらながらにクローズアップされていますが、いやいや、そんなこと、みんなとっくに知っていたでしよう?と言いたくなります。

そもそも政府トップ自らが「トリクルダウン理論」を持ち上げ、「富めない者が富めるには富める者がさらに富むことだ」という施策を何年にも渡って堂々とやってきたわけです。それによって、社会の下請け構造は完全強固なものとなりました。加えて、コンプライアンス強化という社会の要請は、残念ながら企業を表層的な対応に走らせ、「責任逃れ」としての多層構造を後押ししてきた面もあると思います。

生産を担う小さな企業側も、長年に渡って下請けをやってきたため、自ら新しいものを企画・開発し、自分たちの名前で商品やサービスを世の中に出すという企業として当たり前の行為を、もはや忘れてしまっています。分業は当たり前、という「常識」は、常に疑うべき常識のひとつだと私は思います。

たとえば超高齢化社会社会保障問題を語る時、「将来若者一人で高齢者一人の面倒を見なければならなくなる。大変だ!」と危惧する声はあがりますが、現代の社会でもすでに、生産の最前線にいる小さな会社が、仕事を横流しする大企業の社員を何人も面倒を見ている、「超下請け社会」になっています。しかし、それが当たり前のように社会にインプリメントされてしまったため、「大変だ!」という声さえ上がりません。

正直、こんなことを書くと仕事をまわしてもらえなくなるかも、という考えが反射的に頭に浮かびますが、そんな恐怖を感じることこそが、この社会がかなり病んでることの証左です。


そして、こうやって日本が停滞している間に、富める国はますます富んでいます。かつては富める国のひとつだった日本も間違いなく転落にむかっており、世界の中で「下請け国」になる可能性は高いのです。沈みゆく、かつては世界一を誇った巨大な船の上で、他人より少しでもいい客室を奪い合う。今の日本の状況はそんな、馬鹿げた光景と重なります。

個人であれ組織であれ、社会構造の中で埋もれてしまっている能力を正当に発揮できる社会を作ることが、この国の急務の課題です。

結局は、一人一人がどんな社会にしたいかを真剣に考えて、そちらに向かって社会を変えていくしかありません。つまりは政治は大事だ、という当たり前の結論に行き着くのです。

「国民総自衛官制」の提言

安全保障と経済対策を両立する、素晴らしい政策を思いつきました。

 

話題になっている防衛費ですが、GDP比2%なんてみみっちいので、一挙にGDPの20%にします。30%でもいいです。これなら与党も大喜びでしょう。

 

その上で、高齢者から幼児まで国民全員を自衛隊員にします。普段はそれぞれ普通の生活を営んでいますが、いざとなったら日本を守るために協力する「登録自衛隊員」を創設し、国民全体にその任を与えるのです。「いざ鎌倉」の現代版といったところです。

 

GDP20%なら100兆円を登録自衛隊員、すなわち国民全員に配布するので、一人あたり年間約100万円。安全保障を強化しつつ、ベーシックインカムが実現されることになります。

 

自衛隊員は自然災害時に活躍してきましたが、全国に大量の自衛隊員がいるので、超迅速な対応が可能になります。72時間の壁もクリアし、救える命は確実に増えます。

 

国外から兵器は買わず、最低限のものを内製します。技術開発は大いにやります。何をやってもいいのですが、外見上は安全保障の技術開発だと強弁しましょう(ほとんどの技術はできます)。そうすればアメリカも納得せざるを得ません。政治家は申請書に「安全保障」という言葉さえあれば全通しです。もちろん技術開発の費用は国家が全面的に支援します。とにかく防衛費が増えれば嬉しい人たちを喜ばせてあげましょう。

 

もちろん、この施策のもとでは、国民は、もし戦争になったら自分の命がやばいです。なので、反戦思想が優勢になるでしょう。また、子どももベーシックインカム‥ではなくて、登録隊員報酬をもらえるので、少子化対策にもなりそうです。国民全員が「軍人」ですから、事実上「軍部の暴走」というのもあり得ません。

 

この日本発「いざ鎌倉」統治を、日本から世界に向けて広げましょう。世界中の人々がすべて「軍人」となった時、すべての人々にとって平和の維持は自分ごととなり、戦争なんか起きたら損や!と気がつくでしょう。

防衛費倍増(GDP比2%)のまやかし

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今朝の日曜報道PRIMEを見て大変驚きました。防衛費をGDP比2%に増額することに、国民の90%が賛成している、という調査結果が示されたからです。

 

心理学で「恐怖管理理論」というのがあります。

人間は、自分がいつかは死ぬ運命にあると意識すると、あらゆる誘惑に負けやすくなる、というものです。

 

意識的にでも無意識にでもこの種の不安を感じると、何でもいいので安心感や未来への希望を得ようとする。この性質を利用して、人々に購買行動をうながす広告もけっこうあるようです。

 

ただ、恐怖が強すぎると人は無意識にそれを忘れようとするので、適度な恐怖をあたえるのが効果的なんですね。

 

少し遠くで起きている戦争とか、少なからず多からず一定数が死亡する疫病とか。

 

今朝の数字は、この「恐怖管理理論」が実際に当てはまることを示す、代表的なサンプルだと思います。

 

もうひとつのいかがわしさは、防衛費をGDP比でしか伝えないことです(政府もメディアもそのいかがわしさを知りつつ、わざとそう伝えてきたと思いますが)

 

「2%くらいならいいか」との印象を与えますが、防衛費は100%税金で賄われるのですから、GDP比ではなく税収比で考えるべきなのです。

 

直近のGDPは540兆円ほどですから、GDP比2%は11兆円弱。これは消費税収20兆円、個人所得税収19兆円の半分を超える額です。そして法人税収9兆円を超える額です。超巨大な歳出といえます。


いったい、防衛費をGDP比2%まで倍増することに賛成する人は、そういうことも踏まえた上で賛成しているのでしょうか。その見返りとして行政サービスや年金福祉が削られることを認めているのでしょうか。

 

僕は、防衛費GDP比1%でさえ、今の政府の財政状態からすれば多すぎます。もし日本国民の暮らしを少しでもまともにしたいのなら、防衛費はすぐにでも減らすべきです。

 

 

 

ひろゆき氏と「自由」

少し前に4chanが話題になってて、そういえば彼の本は読んだことなかったな、と思って読んでみた。

彼の基本思想は「自由」を最優先の価値と考えることにあると思う。そう捉えれば、彼の意見はけっして突拍子もないことではなく、逆にいたってまともなことを言ってると思う。もっとも今は多くの社会システムがまともじゃないから「異端」と言われるのかもしれないけど。

「自由の力」を取り戻すこと。それしかないと思うんだけどな。



【追記】
人のさまざまな側面を観ていけば同じ人はいないとわかるのですが、そのような「多様であること」自体が大切な価値だと思います。

ひろゆき氏のいう「自由」(僕も同じ意見なのですが)は、「好き勝手」や「積極的に何かを行う」ということではなくて、「人から強制されることなく、自分自身で判断すること・できること」を自由と考えているのだと思います。

つまり、たとえば、何もしないことや他の人を支えたり、従うことも、それが自分が納得した判断であるなら「自由」と言える。

その意味での「自由」は、すべての人が共有できる価値だと僕は思っています。

緩い坂の思い出

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学生の頃、帰省した実家から下宿に戻る時、いつも祖母と母親が見送ってくれた。家の前の緩い坂の先で僕の姿が見えなくなるまで手を振って。僕は、恥ずかしいから見送ってくれなくていいのにと思いながら、少し嬉しかった。

 

今はもう見送ってくれる人はいない。恥ずかしさも嬉しさも、遠い思い出になった。ただ、家の前の緩い坂だけは昔のままだった。