モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「超下請け社会」からの脱却

USBメモリ紛失事件に端を発して、巷では大企業の中抜きや何層にもわたる下請け問題が今さらながらにクローズアップされていますが、いやいや、そんなこと、みんなとっくに知っていたでしよう?と言いたくなります。

そもそも政府トップ自らが「トリクルダウン理論」を持ち上げ、「富めない者が富めるには富める者がさらに富むことだ」という施策を何年にも渡って堂々とやってきたわけです。それによって、社会の下請け構造は完全強固なものとなりました。加えて、コンプライアンス強化という社会の要請は、残念ながら企業を表層的な対応に走らせ、「責任逃れ」としての多層構造を後押ししてきた面もあると思います。

生産を担う小さな企業側も、長年に渡って下請けをやってきたため、自ら新しいものを企画・開発し、自分たちの名前で商品やサービスを世の中に出すという企業として当たり前の行為を、もはや忘れてしまっています。分業は当たり前、という「常識」は、常に疑うべき常識のひとつだと私は思います。

たとえば超高齢化社会社会保障問題を語る時、「将来若者一人で高齢者一人の面倒を見なければならなくなる。大変だ!」と危惧する声はあがりますが、現代の社会でもすでに、生産の最前線にいる小さな会社が、仕事を横流しする大企業の社員を何人も面倒を見ている、「超下請け社会」になっています。しかし、それが当たり前のように社会にインプリメントされてしまったため、「大変だ!」という声さえ上がりません。

正直、こんなことを書くと仕事をまわしてもらえなくなるかも、という考えが反射的に頭に浮かびますが、そんな恐怖を感じることこそが、この社会がかなり病んでることの証左です。


そして、こうやって日本が停滞している間に、富める国はますます富んでいます。かつては富める国のひとつだった日本も間違いなく転落にむかっており、世界の中で「下請け国」になる可能性は高いのです。沈みゆく、かつては世界一を誇った巨大な船の上で、他人より少しでもいい客室を奪い合う。今の日本の状況はそんな、馬鹿げた光景と重なります。

個人であれ組織であれ、社会構造の中で埋もれてしまっている能力を正当に発揮できる社会を作ることが、この国の急務の課題です。

結局は、一人一人がどんな社会にしたいかを真剣に考えて、そちらに向かって社会を変えていくしかありません。つまりは政治は大事だ、という当たり前の結論に行き着くのです。