モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「プライスレスな価値」を守ること

president.jp



以前、あるクレジットカード会社が、「プライスレス」をキーワードにしたテレビコマーシャルをやっていた。蛇足だと思うが、「プライスレス」というのは、もちろん「無料」という意味ではない。「値段がつけられない(ような価値)」という意味だ。


クレジットカード会社が「プライスレス」を訴えるというのは、皮肉なことだと思ったが、CMとしては成功だ。なぜなら、このCMは『お金で買えない価値がある。買えるものはこのカードで』というメッセージを前面に打ち出すことで、視聴者(すなわち消費者)に、クレジットカードがあればプライスレスな価値に近づけるのだ、と錯覚させたからだ。


この逆説的なCMは、世の中にある「プライスレスな価値」に気づかせてくれるどころか、さらに多くのものにプライスを付けることに貢献したのではないかと思う。


このCMは、この数十年の「資本主義の静かな拡大」を示す、象徴ではないだろうか。

たとえば、10年前、20年前、お金(それが現金であろうがクレジットカードであろうが)では買えなかったものが、今はお金で買えるようになっている。以前は値段がついていなかったものに、今は「値札」がつけられ、すべて均一・一律の価格だったものが、いくつかのカテゴリーに分けられ、価格に差がつけられるようになった。

これらはすべて、資本主義が静かに拡大し、私たちの日々の暮らしを侵食した、その現れなのだ。

マルクスの「資本論」が商品の分析から始まるように、資本主義のメインプレーヤーは「商品」である。商品が増えることは、資本主義がそのテリトリーを広げるための、すなわち、資本が自己増殖するための重要な条件だ。商品とは値札=プライスが付けられ、価値の交換に利用されるものである。資本主義が拡大するほど「プライスレス」だったものにプライスがつけられ商品化される。「プライスレス」なものが減少することは、商品化の拡大を意味し、資本主義の増殖の現れなのである。


資本主義が人々の向上心を刺激し、社会の発展に貢献した面があることは間違いない。しかし、それが行き過ぎると、格差や不平等、貧困を加速する。それはおそらく正しいと思う。


今、いったん立ち止まって、本当の「プライスレスな価値」に目を向ける時期が来ているのではないだろうか。プライスレスなものを守り、「非商品」の居場所を再び拡大させるために、何をすればいいのかを考える時ではないだろうか。