今回もFacebookの投稿から考えたことを書く。その元になったのは次の投稿だ。
良い話をひとつ。
鎌倉市は 3カ所の海岸 〈 由比ガ浜/材木座 /腰越 〉の命名権を売りに出した。
それを鎌倉銘菓 “ 鳩サブレー ” でお馴染みの豊島屋が購入。そして名付けられた3つの海岸の名前は、由比ヶ浜は「由比ガ浜海水浴場」、材木座は「材木座海水浴場」、腰越は「腰越海水浴場」。そう全く同じ名前を再びつけたのです。しかも命名権は年間1200万円で、豊島屋は鎌倉市と10年の契約を結んだらしい!!!と言う事は合計なんと 1億2000万円 (● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ 。久保田社長は「昔ながらの慣れ親しんだ名前になってよかった。海水浴場という言葉が死語になりつつある中でこの呼び名が入っていていいと思う」と語ったらしい!
本日鎌倉に行ったので鳩サブレーを死ぬほど買って来ました。*\(^o^)/*
確かに、良い話だと思う。
「鳩サブレー」の社長の行動は素晴らしいし、鎌倉市民は、鎌倉市民でない人も、多くの人が鳩サブレの社長の行動を支持すると思う。どの海水浴場にも行ったことがない、関西在住の僕でさえ、「鎌倉市民、良かったね」と思う。
しかし、この出来事には、ひっかかるものがある。
それは、そもそも鎌倉市がなぜ、地元民が慣れ親しんだ海水浴場の命名権を売りに出したのか、ということだ。鎌倉市が「濡れ手で泡のようなボロ儲け」を目論んだとは思わない。おそらく、財政が苦しいのだろう。何か避けられない出費があったのかもしれない。
それでも、だ。
地元の海水浴場という、市民の憩いの場、歴史ある自然を、たとえ名前だけだとは言え、行政がそんなに簡単に売り渡してしまっていいのか。
マルクスは、資本主義における富は「商品」という形で蓄積される、と述べた。資本論の第一章が「商品」であることからわかるように、商品は資本主義のもっとも根源的な要素である。資本主義化が進展すれば、より多くのものが「商品」になっていく、とマルクスは述べた。その天才的な洞察は、それから百年以上がたった今、ようやく一般人でも実感できるようになった。
命名権は、あらゆるものごとが商品になるという流れの代表事例のひとつといえるだろう。命名権などというものは、以前はそれほど普及していなかった。世の中に「福岡PayPayドーム」や「エスコン フィールド HOKKAIDO」なんて名前はなかったし、施設の名前は半永久的なもので、毎年名前が変わるなんてことはあり得なかった。しかし、僕の地元、神戸で、もともとグリーンスタジアム神戸と呼ばれていた球場は、Yahoo!BBスタジアム、スカイマークスタジアム、ほっともっとフィールド神戸、と名前が変わっている。
民間の施設でさえ、多くの人が使うものには「命名権」への違和感がある。いわんや、公的組織の中でももっとも公的であるはずの行政組織が、地元民が慣れ親しんだ場所の命名権を売りに出す、などということは、違和感を通り越して、嫌悪感がある。目先の金を得るために、これまで積み重ねてきた歴史や、市民の思い出や未来に伝える財産を売り払ってしまうことが許されるのか。そんなことをする裁量を、誰が行政に付託したのだろうか。
公共の場所の命名権は行政のものではない、と思う。持ち主がいるとすれば、住民のものだ。しかも今の住民だけでなく、先祖から子孫まで時間を越えたすべての住民で共有されるものだ。もしそれを「商品化」するのなら、それらすべての住民の合意を得なければならない、と思う。