モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

マイナンバーを導入する前にするべきこと

 

 

マイナンバー(カード)について色々と言われていますが、零細企業の経営者として一言。

マイナンバーの導入によって、企業には、従業員の税務や社会保険の手続きにおける「マイナンバーの適切な管理」というあらたな義務が生じるようですね。もし、雇用先企業から誤って従業員のマイナンバーが流出したら、その企業が責任を負うのですか?やめてくださいよ。

前々から主張しているように、企業が、税務署に成り代わって、しかも無報酬で、従業員の税や社会保険を天引きしていること自体がおかしいのですよ。

マイナンバー導入によって個人のお金の流れが明瞭になるのなら、企業での天引きは即中止して、すべて個人の確定申告にするべきです。副業や投資が当たり前の時代、一企業での天引きでは正確な税・社会保険の計算はできないですしね。

個人も、間違いなく税や社会保険への意識が高まりますよ(行政はそれが嫌なのかもしれませんが)

マイナンバーの都合のいいところだけPRするのはやめてほしい。

マイナンバー導入によって行政の負担が減る、なんて言われると、カチンときますね。

 

===<Money Forward 民間事業者がマイナンバーの取扱いで注意すべきポイントとは>===

https://biz.moneyforward.com/payroll/basic/49646/


「○○さん、マイナンバー教えて」と聞くだけでいいのかというともちろんダメで、きちんとルールが定められています。まず、事業者が従業員にマイナンバーの提供を求め、取得できるのは、社会保障・税に関係する手続き書類の作成業務に必要な時だけです。例えば源泉徴収票を作る、あるいは年末調整の書類を作るといった目的がなくてはならないのです。

最も注意しなければいけないのは、保管をするにせよ、廃棄をするにせよ、常にマイナンバーの安全管理措置は講じておく必要がある、という点です。そのため、保管や廃棄に関しても社内ルールを設け、それを担当者などに浸透させておかなくてはなりません。

馬鹿を隠すなんて馬鹿のやること

同世代にはよく「若い時は無茶苦茶やったもんだ」と自慢げに話す人がいるのだが、それは要するに「若い頃は馬鹿だった」と白状しているようなものだ。相応の歳になってからそんなこと自慢げに言うのは、今もまだ馬鹿です、とバラしているに等しい。そのことに本人だけが気づいていない。まさに馬鹿だ。

対して、今の若者は概して賢い。賢いから馬鹿なことはしない。たとえ馬鹿なことをしても自ら他人にバラしたりしないのだ。まだ先の長い人生で、馬鹿なことをやったという事実はメリットよりデメリットの方が大きい、と即座に計算できる。

(たまに馬鹿なことをやって、それをわざわざSNSに投稿して炎上してしまう、昔ながらの馬鹿な若者もいるが、それを見て「言語道断」などと言っているのは、「昔馬鹿なことをやった」と自慢する大人だったりする)

 

要するに今の大人たちは生まれてから今に至るまで、ずっと馬鹿なのだ。馬鹿なのに馬鹿でないふりをしているのが、まさに馬鹿である証拠だ。

どうせ馬鹿なら、せめて晩年くらい馬鹿をさらけだそうではないか。最後まで馬鹿を隠し通して死ぬなんて馬鹿のやることだ。

 

私はがこんなことを書いているのは、なにも開き直って自暴自棄になっているからではない。世の中が発展するためには馬鹿が必要である、という歴史的事実に基づいて極めて合理的な意見を述べているだけだ。生物の種が生きながらえてきたのは「突然変異」のおかげではないか。

 

つまり、今の若者が賢いのなら、今の老年が馬鹿になってあげないと、世の中の馬鹿バランスが崩れてしまうという危惧から、こんな一見「馬鹿げたこと」を言っているのだ。馬鹿がいなくなるのは社会の発展上よくない。この馬鹿不足の世の中に馬鹿を表明することこそ、賢者の証である。

日本の浮き沈みは40年ごとにやってくる

亡くなられた半藤一利さんが、たしかポッドキャストで、「日本の歴史には40年ごとに山谷が訪れる」という主旨の発言をされていて、なるほどな、と思った。

日本が開国し、明治維新がおきたのが1960年代の後半。日本は、長らく続いた鎖国から突如、世界の一員としてどん底から歩みを始めた。というか、始めざるを得なかった。

明治の日本は、西洋に追いつくため富国強兵政策を推し進め、日清戦争のの後、日露戦争に奇跡的に勝利したのは明治維新から約40年後の1904年。ここが日本の歴史のひとつのピークだろう。(それ故に今でもこの時代に憧憬を抱く人たちは少なくない。ただこの時の国家としての日本の栄光の裏で、多くの庶民の生活は苦しいものだったという)

たとえ外見だけであれ「強国」となった日本は調子に乗って軍国主義に突っ走り、無謀にも米国に戦いを挑んだ結果、太平洋戦争の敗戦が訪れる。日露戦争の勝利から約40年後の1945年のことだ。

敗戦でどん底に落ちた日本が復興から高度経済成長時代を経て、今度は経済の分野で世界のトップに躍り出たのが、敗戦から40年後を経た1980年代終わり、いわゆる「バブル」の時代だ。

しかし日本の栄華は長くは続かず、90年代初頭のバブル崩壊後、日本の低迷は今もなお続いている。日本の「失われた20年」は「失われた30年」となり、「失われた40年」にむかっている。

半藤さんの予測が正しければ、明治維新、先の敗戦に続く「日本の第3のどん底」は、2020年代後半にやってくる。これは実感としても正しそうだ。

問題は、この「第3のどん底」から、日本は本当に浮揚することができるのかどうかだ。40年待てば次のピークが来る、と楽観的に構えるなら、どん底は続き、地下まで潜ってしまうかもしれない。

気力と体力をフル投入して、どん底から這い上がる行動を起こさねばならないのだ。今、動かなければ、次のピークはやってこない。

「刃を研ぐことを教えなかった親方が悪い」

mino1f-office.com

「刃を研ぐことを教えなかった(木こりの)親方が悪い」。

この言葉、一瞬、ジョークを言ってるのかな、とも思ったのですが、真面目にそう考えたんですよね。

この回答は間違っている、とはなから決めつけるのはよくないでしょう。木こりの話はもちろん例え話ですが、実際の仕事ではどこまでは教えて、どこから自分で考えるかはケース・バイ・ケースです。

ただ、このきこりの話が何を言おうとしているのか、を読み取る力、というのはあると思うのです。この話の場合、木を切ることと、刃を研ぐこと、それぞれが表している普遍的な意味を捉える力。そのちからは仕事だけでなく、生きていく上ですごく大事な力だと思います。

その力は最初、実際に木を切ってみなければわからない、かもしれません。教育の現場では、まず木を切らせる。でも、そこで終わってはいけない。木を切った後、この仕事をもっとよくするためにはどうれうばいいだろう、と考えることが重要です。

そして次に、それを可能な限り一般化し、自分の能力にしていく。それは結局、好奇心や想像力、ということになるでしょう。

そのようなステップを踏まずに、いきなり好奇心や創造力は身に着けられない。しかし、そこまでたどり着かないと、教育と呼べないのではないでしょうか。

「魚をあげる」より「魚の取り方を教える」のが教育の入口なら、「魚を取ろうという気持ちをおこす」のが教育の出口。その結果「教えてもいない魚とり方法を考え出す」ことにつながるのではないでしょうか。

「ヒューマンエラー」で片付ける人にリーダーはつとまらない

bunshun.jp


この記事の表現はともかく、河野大臣がだめだと思うのは、「ヒューマンエラー」というのを、システム本体とは別の「枝葉の問題」「些細な問題」というニュアンスで発言していること。「デジタル庁がきちんとしていれば防げたヒューマンエラーだった」という表現なんか、そうですね。

そもそも、人間が作ったものについてのトラブルの原因は、すべてヒューマンエラーと言っていい。設計が悪ければ設計者のミス、素材がわるければ素材メーカーのミス、たとえ自然災害であってもそれを予見し、対応しなかった人のミス、です。すぐれたシステムとは、そうした広い意味のヒューマンエラーがおきる確率が低いシステムなのです。なお、ここでいうシステムとは機械や設備だけではなく、運用体制や社会環境など社会のしくみすべてを含みます。だからシステムと呼ぶわけで。

そういうことをわかっていない人が国民全体に影響する大プロジェクトを先導することの危うさを感じます。そんな危うさを感じるのは、河野大臣だけではないですが。

あなたの給料は知事が払ってるんですか?

digital.asahi.com

「だが、作品中で関東大震災について外村が「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と発言したことについて、都人権部職員から同センターにメールが送られた。小池百合子知事が朝鮮人追悼式典に追悼文を出していないことに触れ「知事がこうした立場をとっているにもかかわらず、朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用することに懸念がある」としていた。」

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都の職員が本当にこう発言したのだとすれば、情けないを通り越して怒りさえ覚える。

差別問題だからだめだ、いうのではなく、「公務員は誰のために仕事をしてるのか」という基本的な理解のなさに対する怒り。あんた、本当に公務員試験受かったのか?と言いたくなる。

誰もあんたに責任を取ってくれなんて言ってないんだよ。保身のために邪魔するくらいなら、せめて何もしないでほしい、と言ってるだけだ。


あなたの給料は知事が払ってるんですか?少しは自分の頭で考えてみてはどうかな。

知能の高い人へ

qr.ae

知能の高い人々に関する事実なんだそう。


「科学的に証明されている」か、どうかは別にして、だけど。

友だちとうまくいかなかったり、家にこもったり、独り言言ったり、心配性だったり、自分はだめな奴だと思ったり、

要するに、「自分は変(へん)だ」と思っている人は、

実はとても知能が高い人かもしれないよ。


少なくとも今、自分の存在を否定する必要はないし、それはとても「馬鹿げている」ことなんじゃないかな。

将来、同じように知能の高い人と出あえば、今は隠れている能力も、存分に発揮できるかもしれないからね。


普通の人々(要するに、知能がそれほど高くない人々)は、知能の高い人には当たり前に思えることでも、すぐにはわからないんだよ。

今は仕方がない、と思うしかないんだよね。

やれやれ、と思うだろうけど、前へ進もうよ。