モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

正義や誠実さや真実といったものが、いかに無力なものであるかを突きつけられている

トランプ大統領の支持者たちが、連邦議会議事堂に乱入し、一時、議会が停止するというニュースが、今朝流れた。一人の女性が銃撃され、亡くなったと報じられている。この事件の発端には、先の大統領選挙で不正があったと訴え続けるトランプ大統領がおこなった演説がある。連邦議会へ行き、講義せよ!と命じたのは、トランプ大統領である。

この前代未聞の出来事は、ワシントンから遠く離れた日本にいても衝撃的だ。トランプ大統領の性格については、これまで何度も報道されてきたから、よく知っているつもりだ。しかし、彼の行動は「普通の人間ならここまでだろう」という予想(期待)を裏切り続けてきた。そして、その最大の「裏切り」が、今回の事件だろう。彼が選挙の不正を訴えるのは、自分のこれからの存在場所を得るためのポーズなのだろう。ついこの前まではそれくらいに思っていたし、普通の人が想像できるのはそこまでだ。たとえ表向きは「トランプ大統領は何をするかわからない男だ」と言う人でさえ、まさか大統領が政府に対する暴動を扇動するとは、つい先日まで想像できなかったのではないか。


そのような「あり得ないはずの出来事」を目の前にして、これまで信じてきた価値観が、自分の中で音を立てて崩れていくのを感じている。これまで絶対善だと信じてきた、そして、自分だけではなく、全世界の人々の暗黙の共通認識だと思っていたこと、すなわち、正義や誠実さや真実といったものが、いかに無力なものであるかを、今、突きつけられているような気がする。それも、たった一人の人間の言動だけで。これまで生きてきた世界はこれほどまでに脆弱なものであったということを、いまだに心の底からは信じられないその事実を、今、受け入れなければならないのか。


この先に何か希望はあるのだろうか。今、自分に思いつくのは、一方的な強い力が加わった後には必ずそれを打ち消す反力が訪れる、という、いささか頼りない経験則でしかない。自分の経験の無意味さを知った今でも、頼ることができるのは、自分の経験だけなのだ。


今、書くことができるのはここまでだ。不完全な文章を承知の上で、自分の感覚をここに書き留めるのは、おそらく、この思いはこれからもずっと忘れてはいけない、という直感が働いたからだ。それが未来にどうつながるのかはわからない。しかし、大きな変化の前には、必ず何か予兆がある。今回の事件はすでに十分大きな出来事であるが、この先にさらに大きな出来事が訪れる予兆ではないだろうか。自分の直感が、そう叫んでいる。

地に足をつけるな

"僕は学者だとか芸術家だとかいった仕事をする人は、どちらかというと浮世離れしていなければならないと思っています。片足は地面に着いているけれど、もう一方の足はどこか別の所に突っ込んでいる。それぐらいじゃないと、そもそも学者や芸術家にはなれません。" <村上春樹


「浮世離れしてる」「地に足がついていない」「変わり者」――― そんなふうに言われると、実は内心では嬉しかったりする。自分のやっていることは、人々の少し先を行ってるんだ、ということがわかるからだ。これからも、さらにけなされるよう、精進したいものだ。


それはともかく、最近は「地に足をつけすぎ」な人が多くて面白くない。もちろん、そういう人もいないと社会は混乱してしまうけど、地に足をつけた人ばかりだと、何も変化がない、つまらない世界になっていく。世の中は、どんどん重苦しくなっていく。地に足をつけよう、と自分で判断したのなら、まだいい。しかし、自分の意志ではなく、社会や組織の「重力」に縛りつけられて、地面から動けない人も多いのではないだろうか。実際の「重力」はそこまで強くないのに、自分からその「場」に貼りついているようにさえ見える。


変化を起こすのは、なにも学者や芸術家だけじゃない。「個人として生きること」の大切さに気がつき、あたらしい世界を生きる決意をした人なら誰でも、次の時代の冒険者になれる。地にべったりと着いた自分の足を、勇気を出して地面から離してみれば、思ったより高く飛べるし、早く走ることができる。地から足を離した人だけが、違う世界を見ることができる。


地面に根が生える前に、次の場所へ移動しよう。世界は広い。生きていく場所は、個人の数よりはるかに多いはずだ。


diamond.jp

翻訳者

どんな分野でも、それを突き詰めてやっている専門家と、まったくそのことを知らない一般人の間に、広い意味で「翻訳者」と呼べる人がいる。

「翻訳者」は、外にいる人にはわかりにくい専門知識の本質を的確に理解して、それを一般人が理解でき、面白いと思えるレベルに変換して伝える能力をもっている。優れた翻訳者は、人々に、未知の物事に関心を向けさせ、興味を掻き立て、一部の人々を熱狂させる。

幸運にもそういう「翻訳者」のいた分野が、今、一般人にも知られているんじゃないだろうか。逆に、そういう人がいかなかった分野は、いまだによく知られていないのではないか。その分野自体の重要さ、面白さというのはもちろんあるけれど、それだけでは伝わらない。僕たちが客観的な価値だと思っていることも、実は「翻訳者」がそれを伝えたか、伝えなかったか、ということに、かなりの部分を負っているのかもしれない。

「翻訳」は、いわゆる解説だけではなくて、カルチャーと呼ばれるもの、たとえば、漫画やアニメや映画や小説なども含まれる。むしろ、そういうものの方が、より広く人々に影響を与えているのは間違いない。たとえば、子供の頃、SF映画をみて科学者を目指したり、社会派漫画を見て法律家になった者は少なくないだろう。


文明の進化をドライブしてきたのは、案外そんなものかもしれない。「翻訳者」は主役にはならないかもしれないが、その時代・文化になくてはならない脇役であって、おおげさにいうと、人類の進化には欠かせない存在なのだ。

会下山公園を淀川長治さんが紹介したら

今日、ご紹介するのは、会下山公園という公園なんですね。この公園、1903年に作られました。1903年というと明治36年ですね。すごく古い、古い公園なんですね。実は、あの平家物語にも「会下山」という名前、出てくるんですね。私、それを知って、たいへん驚きました。


まあ、それなのに、この「会下山」、神戸でも、なんと読むのか知らない人が多いんですねー。「えげやま」って読むんですね。実は私も、昨日まで知らなかったんです。ちょっと恥ずかしいですね。でも、今はわかるんですよ。それはそうですねー。知っているから、紹介しているんですねー。


この会下山公園、すごく広くて、素敵な公園なのに、まあ、なんと、あんまり人がいないんですねー。もったいないですねー。だから、行ってみると、男子高校生が我が物顔でバスケットボールとかしてるんですねー。私、正直言って、ちょっと邪魔だな、と思いました。でもこの男子、タバコを吸ったり、繁華街をぶらついたり、家にこもってゲームしてるより、はるかにはるかにいいですね。こういう高校生が将来公園ファンになって、公園を盛り上げてくれるといいですね。


みなさんも、この会下山公園、ぜひ行ってみてくださいね。それぞれの人が、私はここがいい、僕はここが気に入った、という発見が、必ずあると思います。私も、ぜひまた行ってみようと思います。


毎日歩いていると、いろいろな発見があるんですね。ほんと、歩くって、いいですね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。


(映画の伝道師、淀川長治さんに敬意を込めて)

追記 この投稿をした翌日、小松政夫さんの訃報に驚いた。小松さんの淀川長治に比べると、まつつくつたないパロディですが許してください。小松さんへの感謝を込めて、この投稿を小松さんに捧げます。

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「途中のもの」に目をむける

徒歩通勤になってからの変化は色々あるけれど、その中でも、多くのことに関係する、少しおおげさにいうと「生き方が変わった」といえるもののひとつは、「途中」に目を向けるようになったことだと思う。


以前は、移動は、僕にとって、目的地に行くための手段でしかなかった。すなわち、移動時間は無駄な時間で、短ければ短いほどいい、と思っていた。


しかし、歩くことが「デフォルト」になると、当然のことながら、移動に時間がかかるようになる。時間がかかるようになると、不思議なもので、移動の時間を楽しまなければ損した気分になってくるのだ。徒歩というのは、生後1年に満たないころから行っている、人間にとっての基本動作である。人間を人間足らしめているのは、二足歩行だ、という見解も聞いたことがある。それはすなわち、歩行は人間にとってとても自然な行為であって、歩行にはほぼ「自動運転」モードで対応できるということだ。大脳はほとんど使われず、手持ち無沙汰、というか、「考え無沙汰」なのである。加えて、心理面の変化として、どうせ時間がかかるんだったら、少しくらい遅くなっても一緒だろい、という思考になってくる。途中で足を止めて寄り道するのに躊躇しなくなる。


そういうわけで、歩いている途中は、自然と周りに目を向けるようになった。そうすると、今まで見えていたのに見ていなかったものに気づく。歩いて行ける距離にこんなに新しい風景があったのか、という発見は、なかなか興奮するものだ。新しい発見を期待してさらに歩き、さらに多くのものに出会うようになる。


「途中のものに目をむける」という行為はけっして無駄なことではなく、とても重要な行為なのだ、と今日も歩きながら考えている。



(写真は、徒歩の途中で出会った、素敵な風景たち。)

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木星と土星

今月の後半、クリスマス近辺に、木星土星が、夕方の西空に並んで見えるそうだ。その見かけの距離は月の直径の5分の1まで近づくというから、肉眼だと「超明るい二重星」のように見えるはずだ。

これだけ近づくのは「1226年3月4日の夜明け前以来」(CNN.co.jp)という。これは本当に希少な体験だ。


僕は小学生の頃、天文少年だった。隣町の天文科学館に足繁く通い、「天文ガイド」と「天文年鑑」と「子供の科学」の天文コーナーを、ページがしわくちゃになるくらいに読んだ。天体写真家、藤井旭さんの「星空の四季」という写真集が大好きで、何度読んだ(というか眺めた)かわからないほど読んだ(というか眺めた)。


小学校3年の時、天体望遠鏡を買ってほしい、と親に要望した。しかしその願いは受け入れられず、それなら自分でなんとかしてやる!と決意し、家にあった虫眼鏡をお茶の缶にとりつけて自作の天体望遠鏡を作った。光軸もぶれぶれ、レンズの色収差もひどくて、金星がなんとなく三日月形に見えるかな?程度の「望遠鏡的なもの」でしかなかった。率直に言って、この工作は技術的には失敗だったが、「僕は天体観測を本気でやりたいんです」というアピール力にあふれていたという点では大成功で、その翌年、小学校4年生の時に、ついに天体望遠鏡を買ってもらえたのだった。


初めての天体望遠鏡をまず向けたのは月。その次が、木星土星だったと思う。実際、小さな天体望遠鏡で天体っぽく見えるのはこの3つしかなくて、ほとんどの天文少年は同じ道をたどるのではないだろうか。藤井旭さんの写真集では美しく見える他の惑星や星雲や星団も、小さな望遠鏡では、ほとんど何も見えないのだ。だが、逆に、月と木星土星は何度見たかわからない。コンディションのいい夜に、木星土星の縞模様がおぼろげに見えたりする(気がする)と、もう大興奮だった。


その頃、木星土星の観測に絶好の季節は、秋から冬だった。虫の声がきこえる秋の庭、茜色から真っ黒に変わる夜空に、王者のようにひときわ明るく輝いていた木星。空気が透明な、芯から冷える冬の夜、近くの公園で観た土星。とおりすがりの仕事帰りの大人に「ちょっと望遠鏡見せて」と声をかけられて、見せてあげたら、思ったより大したことないな、と言われてショックを受けた。僕は、この望遠鏡で見えるのはこの程度なんですよ、と表向きは目上の人に丁寧に受け答えしながら、内心では、これだけ見えるだけでもすごいんだ。この大人はわかってないな、と憤慨した。



あれから数十年がたち、今は、夜空を見上げることもほとんどなくなった。それでも、木星土星の接近のニュースに、なにか心躍るものを感じるのは、今でも、木星土星は「別格」だと思っているからなのだろう。当時、たまに弟と将棋をやっていたからか、木星土星は「惑星界の飛車と角」というイメージがあって、それはいまでも変わらない。


この年末は、寒さを我慢して、久しぶりに夜の空を見てみよう。