モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「途中のもの」に目をむける

徒歩通勤になってからの変化は色々あるけれど、その中でも、多くのことに関係する、少しおおげさにいうと「生き方が変わった」といえるもののひとつは、「途中」に目を向けるようになったことだと思う。


以前は、移動は、僕にとって、目的地に行くための手段でしかなかった。すなわち、移動時間は無駄な時間で、短ければ短いほどいい、と思っていた。


しかし、歩くことが「デフォルト」になると、当然のことながら、移動に時間がかかるようになる。時間がかかるようになると、不思議なもので、移動の時間を楽しまなければ損した気分になってくるのだ。徒歩というのは、生後1年に満たないころから行っている、人間にとっての基本動作である。人間を人間足らしめているのは、二足歩行だ、という見解も聞いたことがある。それはすなわち、歩行は人間にとってとても自然な行為であって、歩行にはほぼ「自動運転」モードで対応できるということだ。大脳はほとんど使われず、手持ち無沙汰、というか、「考え無沙汰」なのである。加えて、心理面の変化として、どうせ時間がかかるんだったら、少しくらい遅くなっても一緒だろい、という思考になってくる。途中で足を止めて寄り道するのに躊躇しなくなる。


そういうわけで、歩いている途中は、自然と周りに目を向けるようになった。そうすると、今まで見えていたのに見ていなかったものに気づく。歩いて行ける距離にこんなに新しい風景があったのか、という発見は、なかなか興奮するものだ。新しい発見を期待してさらに歩き、さらに多くのものに出会うようになる。


「途中のものに目をむける」という行為はけっして無駄なことではなく、とても重要な行為なのだ、と今日も歩きながら考えている。



(写真は、徒歩の途中で出会った、素敵な風景たち。)

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