モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

ちょっとした勇気〜坂本龍一さんへの追悼

坂本龍一さんが亡くなった。

昨夜SNSでそのニュースを知って、反射的に感じたのは「悔しい」という気持ちだった。

なぜ、「悔しい」と感じたのだろう。

坂本龍一さんの音楽は好きだ。僕の高校・大学時代、「テクノポップ」というあたらしい音楽をひっさげて突然登場したYMO。その音楽的リーダーといえる坂本さんは、まぎれもない大スターだった。高校時代は音楽を聴きまくったし、「戦場のメリークリスマス」を自分でも弾きたいと、社会人になってはじめてもらった給料でピアノを買った。その後、ボストンでの坂本さんのライブにも行くことができ、ピアノひとつで演奏する坂本さんの姿に感動した。

それでも、正直に言うと、坂本さんの「音楽の大ファン」だと公言できるほどのファンではなかった。ただ「好き」「心地よい」という感じで音楽を聞いていたと思う。


坂本さんのことを「再発見」したのは、40代から50代になってからだ。そのきっかけは、「反戦」と「脱原発」を訴える彼の姿を見たことだった。人を殺す戦争、格差をうむ新自由主義、環境を破壊する原子力。世界的な音楽家が、よりよい社会を作るために自ら発言し、行動する。その姿はかっこよかった。「大スターがなぜ社会活動を?」という疑問の声に、彼は、民主主義の国に生まれた人にとって当たり前のことをしているだけだ、と言った。


坂本さんはけっして「社会活動家」ではない。彼の言葉は常に優しく、だからこそ、多くの人に届いた。強いものを正面から批判するのではなく、50年後、100年後の子どもたちの未来にとって、何がいいのかを考えてみませんか、行動してみませんか、と問いかけ続けた。そのための「ちょっとした勇気」を持ちませんか、と。


そのような坂本龍一(あえて呼び捨てにするが)の姿をみて、僕にとって坂本龍一は、正真正銘のスターになった。若者の頃はアーティストとして「好き」だったが、中年をすぎてからはひとりの「人間」として、坂本龍一を尊敬していたことに、今、気がついた。


彼のような感性をもつ人が少なくなったと感じる今、彼の逝去は、こうやって書きながら涙が滲むくらい残念で、悔しい。


彼が目指していた理想の社会を、誰か一人に託すのではなく、たくさんの人々が少しづつ力を持ち寄って実現できないだろうか。そのための「ちょっとした勇気」を持ちたい。自分勝手な思いかもしれないが、それが坂本さんへの一番の追悼になると信じている。


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