モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

どうせ「偏見」なら、自分なりに「こっちの方が未来の社会がよくなるはず」と思える「偏見」を持ちたい

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この記事とは直接関係なく、少し脱線して思ったこと。というか少し前から思っていること。

僕が子供の頃と今とでは時代の空気が違うのは当然で、単純に「昔がよかった」とは言わないけど、中にはなくなって残念な気持ちになるものもあります。たとえば「判官贔屓(ほうがんびいき)」という言葉は、今や死語になっているようです。

昔は「弱気を助け、強気をくじく」という気持ちが、デフォルトとしてみんなに共有されていたように思うんですよ。でも今は「長いものにまかれろ」「よらば大樹の陰」の方が「賢い」人なんですかね。そっちのほうが「得する」という理由で。

弱者に寄りすぎるのもまた「偏見」かもしれません。たぶん、あらゆる考えはすべて「偏見」です。どうせ何らかの偏見から逃れられないのなら、自分なりに「こっちの方が未来の社会がよくなるはず」と思える「偏見」を持ちたいもんです。