モノオモイな日々 Lost in Thought

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「起業家」という言葉への違和感

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ずっと違和感がある言葉のひとつに「起業家」というのがある。


僕はずっと、世の中の人々の多くが「フリーエージェント」=個人で仕事をする人たち、になることを夢見ているから、本来「起業」については肯定的ははずだ。でも、「起業家」という言葉は、僕の思うフリーエージェントとは違う文脈で使われる。その言葉は、「起業家」自身から出る言葉ではなく、周囲がそう名付けたものにしか思えない。もっと言えば、一儲けしようと目論んでいる投資家や、税金を投入することの正当性と証明したい行政・公的機関の視点から生まれた言葉に思えてしまうのだ。


「起業家」とはいったい何なのだろう。起業した人、なら「起業した人」で言えばいいではないか。起業を何度もやっている「起業のプロ」を「起業家」と呼ぶのだろうか?もしそうなら、そんな「起業家」は信用されないだろう。つまりは「起業家」は起業する側の人にとってほとんど意味のない肩書なのだ(投資家を騙すこと以外では)。


そんな言葉を使わなくたって、世の中には起業している人たちはたくさんいる。僕のまわりでも、飲食店、カメラマン、一人出版社、デザイナー、翻訳家など、個人で事業を営んでいる人たちは多い。そういう小さな事業者はこれまでもいたし、これからもいるだろう。

でもそんな人たちは「起業家」とは呼ばれない。なぜなら、彼ら・彼女らは将来株式を上場する計画をもっていないし、行政から補助金をもらってもいないからだ。自分の個性や特技に従って身の丈にあった事業を営んでいる、まともな人たちは「起業家」とは呼ばれないようだ。(そう自分で書いてみると、「起業家」という言葉がますます怪しげに思えてきた。)



「起業家」などというキラキラした言葉を使わずに、「自営業」、せいぜい「フリーランス」でいいではないか。(僕はそういう人たちを総称する「フリーエージェント」という言葉を好むが、日本ではあまり定着していないようだ)


わざわざ「起業家」などという言葉を使わなくてもいい、それぞれが「みんな違ってみんないい」事業を営み、そうした人たちがフラットにつながる世界が早く来てほしいと願う。