今回の衆議院選挙、どんな基準で政治家を選ぶべきだろうか?
「政策で選ぶべき」「結果で選ぶべき」と与党は叫んでいる。
正論だ。でも僕は、今さら何を言ってるの?と条件反射的に返してしまう。だいたい与党がそう言う時は、それ以外のことを隠しているからだ、と勘ぐってしまう。ここ数年で、そういう習性が身についた。
では、何を判断基準に政治家を選ぶべきなのだろうか。僕は、「嘘をつかない政治家。法を守る政治家」を選ぶべきだと思う。
とてもレベルの低い判断基準だと認める。そもそも「嘘をつき、法を守らない者」が政治家をやってはいけない。誰だってそう思うだろう。だがしかし、「そんな人たち」が政治をやっているのが今の日本ではないだろうか。
そんなことをTwitterに書いたら、「そんなことを言ったって政治家の嘘を見抜くのは難しい(無理だろう)」という主旨のコメントが付いた。
それもまた、正論だ。政治家に限らず、他人の嘘を見抜くのはそう簡単ではない。嘘つきは日常に溢れている。オレオレ詐欺の被害者は増える一方だし、日常生活は小さな嘘にまみれている。日々、「嘘つき社会」にうんざりしている人は多いだろう。
でも、だからといって諦めることはない。嘘を見抜く完璧な方法はなくても、言動を注意深く見れば、嘘はひょっこりと顔をだしている。
たとえば、
・武器の輸出を解禁する政策が、「平和を実現する」つもりはない。
・核兵器禁止条約に批准しないのは、「核兵器を持ちたい」ことの現れだ。
・大企業の税制を優遇する税制は、「格差をなくす」のとは真逆の考えだ。
・長い夏休みを取り、国政がおろそかになる選挙に打って出る与党は、「北朝鮮の脅威」など真剣に考えていない。
僕を含め、人々は「心地よさ」を求めて、力強い言葉、優しい言葉になびいてしまう。しかしちょっと待て。少し立ち止まって、その言葉を発している人たちの行為を見てみよう。
その言葉と行為に矛盾はないか。もしあるとすれば、その人はかなりの確率で、嘘を言っている。名は、必ずしも体を現さない。しかし、体は、偽名を隠すことはできないのだ。
言葉と行為の矛盾を見つけること。それ以外に嘘を見抜く方法はないし、それが嘘の本質であり、僕たちが身を守るスキルなのだ。
そして、そのような矛盾を見ながらも嘘を認めないのなら、それは、理性や論理が意味をなさず、もはや何も考えずに従うだけの「信者」でしかない。