間違った問いを立てれば、間違った答にたどりつく。
人々はそのことに薄々感づきながら、なんとか「答」を手に入れた安心感を捨てたくないために、その答を信じようとする。
しかし残念ながら、それは妄想であって、希望ではない。
僕は、市民や他国との対話を拒絶する政治を信じない。それは、人々の目を真実からそむけ、特定の人たちが作った間違った問いを、人々に信じさせようとする行為だからだ。
ロスコフ氏の言うとおり、経済政策も外交政策も、他のあらゆる施策も、国内外の市民の自由な発想や考えをすくいあげ、統合するものでなければならないはずだ。それがなければ、特定の人々の支配を許すことになり、世界の市民はけっして「正しい問い」にたどりつくことはできない。
「ボトムアップと対話」を拒否する政治を、僕たち市民は拒否するべきだ。