モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「群雄割拠」の時代は創造的である

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世界的なIT企業が、プラットフォーマーとして情報の多くを牛耳るようになるにつれ、既存のメディアは苦しい立ち位置に追い込まれている。

「情報」はそれ自身が広がっていく性質を持つため、一度発信した情報は多かれ少なかれコントロールできなくなる。広がった先で対価を回収しようとしても難しいのだ。だから、情報は、それを発信するところで対価を得るのが好ましい。

そのバランスが、ITプラットフォーマーの影響力が増すにつれて崩れ始めている。情報の受け手が直接対面するプラットフォーマーの力が強くなり、情報のつくり手でかつては流通もになっていた旧来のメディアが、単なるつくり手、すなわち、下請けになっていく。

この構図はメディアに関わることではない。むしろメディアはこの変化が遅れてきたのであって、農業や製造業の多くは、たとえ大手であれすでに実質的に「下請け」になってしまった。

そのような危機感を抱く人々は、自分たち独自のプラットフォームを作ろうとしているが、なかなかうまくいかない。プラットフォームの構築では「規模」が重要なファクターなので、群雄割拠の状態ではメリットは少ない。その中から抜きん出た少数のものしか生き残れないのだ。

それが現在の、ITプラットフォーマーの寡占状態だ。

「つくり手」の立場からこの状態を打開するにはどうすればいいのだろう。そのひとつは、つくり手たちが結集して旧来のメディアや新興のプラットフォーマーに対抗できる新しいマスメディアを作ること、もうひとつは小さくても特定の分野に特化し、持続的に活動を続けられる「マイクロメディア」の道を探ることだろう。

僕は、後者の方法に賛同する。それはビジネスとして成功する確率ではなく、超権力(スーパーパワー)の下に単一化・画一化する世界は望ましいものではない、と考えるからだ。多数の組織に権力が分散し、お互いに議論し切磋琢磨することで、よりよい未来が作られる、と信じている。

「群雄割拠」の時代は不安定であるが、だからこそ創造的なのだ。