モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「外野の口出し」が世の中をつまらなくする

昨夜のパラリンピックの開会式、その時間は他に色々やることがあって、細切れの「ながら見」だったのですが、自然と引き込まれる、素晴らしいショーでした。何より、ひとつの統一された世界感に貫かれていることがよかった。その背後には、この記事にあるように、少数の創作者に任せられる環境があったのだろう、と思いました。

 

実は最近、身の回りのいくつかの出来事から、世の中全体にはびこる「ゴタゴタ」や「トラブル」、あるいは、世の中をつまらないものにしている様々なことの元凶は、「外野の口出し」だな、と考えていたところでした。

 

「外野」と言ってもまったく無関係な人ではなく、上司や責任者と呼ばれる、一定の力を持った人々の口出しが最悪。自分が携わる仕事でも、なかなか方針が決まらなかったり、決めたことが変わったりすることがあります。そういう場合は、だいたい「上司の口出し」が原因のことが多い。外部から見れば、どちらでもいいんじゃないの?と思うような些細なことにクレームをつける。もっと現場の担当者や作り手にまかせれば、早く、良いものができるのに、と思うことが、少なからずありました。

 

どうしてそうなるかと言うと、結局、世の中に「管理職」が多すぎるんだと思います。本当に管理しなければならないことはそんなに多くなくて、管理職の多くの仕事は必要のない形式的な仕事。「ブルシットジョブ」なんでしょう。そんなストレスの下、自分自身の手で直接何かを作らない役職の人たちは、「口出し」することでしか、自分の存在価値を確認できないのだろうと。

 

管理職や「上司」と呼ばれる人々は、もっと部下や協力者、現場に任せて、自分は組織全体の将来計画とか、未来のトラブルを未然に防ぐ布石を打つとか、もっと大きなことに力を注げばいいし、それが組織の上に立つ人の仕事ではないですかね。あるいは、もし管理職が向いてないなら、素直に現場の仕事に戻ればいいのです。嫌々仕事をしている管理職ほど、周りに迷惑な人はいないですから。

 

管理職としてやることが見つからず、現場に戻る決断もできないなら、部下に口出しするより、ネットでパラリンピックの開会式でも観ていた方が、はるかにいいと思いますね。

 

https://www.asahi.com/articles/ASP8S7HL9P8SUTQP01X.html