正直なところ、僕はパラリンピックというイベント自体に賛成ではなかった。
それは、コロナ禍とは関係なく、オリンピックとパラリンピックを分けることに違和感があったのだ。オリンピックとパラリンピックは一緒になるべきだ、と本気で思っていたし、そういう主旨のことをブログに書いたこともある。
パラリンピックなんて、やめちまえ! - モノオモイな日々 Lost in Thought
その気持は、今も変わらない。というか、今回パラリンピックを観て、その思いはより強くなった。
もし将来、オリンピックとパラリンピックが一緒になるなら、よりパラリンピックに近い姿になるだろう、と確信した。
たとえば、車椅子バスケット観ている時は、「障害をもった人がやっている」ということを忘れて、試合のめり込んでしまった。今、自分が観ているスポーツは、障害者のための代替的なスポーツではなく、車椅子というツールを使った未来のスポーツなのだ。そう、自然に受け入れている自分がいた。
車いすラグビーも、マラソンも、トラック競技も同じだ。車椅子はスケートボードと同じくらいにクールに、義足はスプリンターの筋肉のように美しく思えた。
パラリンピックのスポーツが、 かっこよかったのだ。
テクノロジーと一体になった人間は、大げさに言えば、未来の進化した人類の姿なのかもしれない。そんな想像は、それほど遠くない将来、現実のものになるだろう。