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モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

責任回避・リスク回避の仕事に、生きる意味はあるか?

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仕事をお願いされたら、少しでも良いものにしたいし、誰かが困っているなら、できるだけ助けてあげたい、と思う。

しかし、そうしようと思うと、どこまでやればいいのかがはっきり見えないし、手伝ってくれる人に無理をお願いすることにもなる。

仕様書や契約書の一字一句に縛られるのはむなしいし、リスクと責任を回避するだけの生き方はつまらない。。。そう思う一方、ボランティアだけで生きていくわけにもいかないのも事実だ。

このバランスを取るのは、いまだに難しい。結局、いい仕事って、なんだろう?という問いは、永遠に問いのままだ。


ただ、最近の世の中を見ていると、リスク回避・責任回避の側に寄りすぎていると感じる。たとえば仕事でなにか問題がおきて、それを解決するために、関係者に相談したとする。その第一声が「これはうちの責任ではありません」という言葉だと、悲しく、虚しくなる。こちらは、問題がおきたから解決しよう、困っている人を助けよう、という純粋な気持ちで知見のある人に相談したつもりでも、相談された方は自分が責められれている、利用されている、と感じるようだ。


もっと広く見れば、現代社会では「仕事のデキる人」とは、責任を取らない人・うまく押し付ける人、なのかもしれない。なぜなら、そのほうが儲かるからだ。少なくとも短期的には。

仕事=お金を稼ぐこと、という、経済最優先の社会での「基本定理」を前提とするなら、それは正しい。でも、それでいいのか。仕事とは経済だけでなく、もっと広い、人間が生きている意味みたいなものではないか。今は、さまざまな制約でそれが実現できていないとしても、そうなるよう努力して、理想に近づける営みが「仕事」ではだろうか。

漠然とそんなふうに思っていたけれど、そんな「理想」はもう、人々に共有されていないのかもしれない。

人の思いと行動を直結できるのが、うちのような小さな会社の良さのはず。そう信じて頑張ろうと思う。