SNSを通じて、人の様々な面を見ることができる。意外な趣味、日常生活、普段の付き合いではわからない考えなど、その人をより深く知ることができるのは、SNSならではの面白さだ。しかし中には、ネガティブな印象を持ってしまう人もいる。特に、投稿が自分の宣伝ばかりと言う人は、だんだん「いいね」も押したくなくなってくるのが偽らざる本音だ。
しかし現代は「自己主張の時代」。これくらい宣伝するのが普通なのかもしれない。逆に押しの弱い人は取り残されてしまうのではないか、と弱気になってくる。海外で対等に戦うためには、日本人はもっと自己主張しないとだめだと言われているし。
そんなことを思っていたら、こんな記事に出会った。「現代のデータ哲学」と題されたニューヨーク・タイムズのコラムだ。データサイエンスについて述べたコラムだが、その一例として示された、テキサス大学ペンベイカー教授の研究が興味深い。その一部を抜粋・翻訳させてもらった。
ジェームズ・ペンベイカー教授は、著書「代名詞の秘密」 の中で、「人は、自信がある時は目の前のことに集中し、自分自身を気に留めることがない。地位の高い、自信に満ちた人は「私 ("I")」を使うことが少ないのだ」と述べている。
ペンベイカーはニクソン大統領の録音を分析し、就任直後は「私」を使うことが少なかったが、ウォーターゲート事件で自信を喪失した後は、より多くの「私」を使うようになったことを発見した。ジュリアーニ元ニューヨーク市長は就任期間にわたって「私」をあまり使わなかったが、癌が見つかり離婚することになった時期は多くの「私」を使ったという。確固たる自信を持つオバマ大統領は、歴代の大統領の誰よりも「私」を使っていない。
我々の脳は言葉の微妙なパターンには気がつかないが、ペンベイカーのコンピュータはそうではない。若い書き手は悲観的で過去形を使うことが多い。一方ベテランはより前向きで未来形の言葉を使う。嘘つきは 「仲間(pal)」や「友だち(friend)」といった友好的な言葉を使い、「しかし(but)」や「除いて(except)」「〜なしに(without)」などの排他的な言葉を使わない傾向にある。.......
自己主張が強い国民だと思っていた米国人も、実は自信がないから自己主張しているのかもしれない。もし自信があれば、米国人であっても自己主張は控えめなのだ。
つまり、海外に行ったからといって、必要以上に自己主張する必要はない。むしろどっしり構えて自信があるところをみせてやる方が、効果的かもしれない。
少し気が楽になった。