モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「メディア・コントロール」

f:id:yasuda0404:20170409085422j:plain

メディアが時の政治と結びついてきたことは、だれでも知っている。現在の日本の首相は、自分が攻撃されるとすぐに「印象操作」「レッテル貼り」と反論するが、それは裏返せば、「メディア・コントロール」は政府の専売特許であり、他の人たちが同じ方法を使うのは許さない、という本音の現れなのだろう。

ぼくたちが日頃感じている、政府とメディアがぐるになった「印象操作」について、早くから、緻密に、そして、おそらくもっとも強烈に告発してきた知識人は、ノーム・チョムスキーをおいて他にはないだろう。誰にとってもメディアを敵に回すのは恐ろしいことだ。しかし、チョムスキーは(少なくとも表向きには)まったく意に介さない。彼は常に真正面から、政権とメディアの癒着と欺瞞について告発してきた。

残念なことながら、チュムスキーの告発はすでに、警鐘の段階を越えている。ベトナム戦争以後、一時的な改善はあったとしても、メディア・コントロールは全体としてさらに酷い方向に進み続け、「平和」という言葉でごまかされた「侵攻」が、今また起ころうとしている。そして、日本人として何より悲しく、恐ろしいのは、チョムスキーが告発し続けてきた「メディア・コントロール」という病に、日本はすでに「感染」し、ついに「発症」しようとしていることだ。

チョムスキーは、「メディア・コントロール」と戦えるのは知識人ではなく、市民だという。実際、米国ではベトナム戦争湾岸戦争への反対活動は、知識人ではなく、市民から生まれてきた。チョムスキーのこの指摘を見て、日本人として最悪だと思うのは、メディアを巻き込んだ米国政府の暴走を食い止める役割をになってきた市民の意識が、日本ではまだ十分育っていないことだ。

戦後、日本は米国の後追いを続けてきた。であれば、米国の抱える根本的な課題もまた継承する運命にある。政府とメディアの闇に少しでも光を照らす、「市民の覚醒」についても一刻も早く米国を後追いしなければならない。


少し長くなるが、作家、辺見庸によるチョムスキーへのインタビューから、ブッシュ大統領が一般教書演説で「悪の枢軸」という表現を使ったことについて質問した箇所から、一部を引用しておく。

ブッシュ大統領はおそらく、「枢軸」の何たるかを知りもしないでしょうね。しかし演説原稿を実際に起草するライターは知っています。北朝鮮とイランとイラクの関係が枢軸などではないことは十分すぎるほど承知している。(第二次世界大戦中の)東京とローマとベルリンの関係と同じではない。イランとイラクはもう20年も敵対関係にある。北朝鮮がこれに加えられたのは、ただほかのイスラム社会に、悪いことは何でも自分たちに押し付けられるという印象を持たせないようにするためです。だから北朝鮮が入ったんです。
 
 スピーチライターが悪の枢軸という表現を原稿に加えてブッシュにいわせたのは、国内の聴衆を意識してのことです。ジョージ・ブッシュのマネジャーは大変です。非常に厄介な問題に対処しなければらないんですから。政府が国民に対してやっていることに、アメリカ国民の注意が決して集まらないようにしなければならない。政府は国民に非常に深刻な損害を与えているのです。9月11日を冷徹にも絶好の機会として、国内の人々への攻撃を強めた。富裕層対象の減税や軍事費の膨張は必然の結果をもたらしています。例えば、一般の人々に対する社会政策費は削られている。これは、すでに限られたものでしかない社会援助をさらに痛めつける攻撃です。こうまで痛めつけられては、政策を維持することはできないでしょう。そういう事実から、国民の目を逸らしたい。(エネルギー会社最大手の)エンロンが税金を払っていなかったという事実から、国民の目を逸らしておきたいのです。

 エンロンの問題で肝心なのは、何年もの間税金を払っていなかった、それが問題なのです。なぜ払わずにすんだのか。政府が、金のある強力な企業が税金を逃れられる仕組みを作ったからです。そう、これもまた、権力者による一般大衆への攻撃です。いまの政府は以前にもましてたちが悪い。そしてまた政府は、今日の石油会社を利するためなら、明日の子どもたちが生きる環境を破壊してもまったく平気だという事実に、国民の注目が集まらないようにしたい。それがジョージ・ブッシュの政府なのです。孫の代に環境がどうなっていても意に介さない。今儲けることが大事なんです。

 しかし人々は意に介します。人々は孫たちに地球を残したい。だからこそ、政府はそこに注意を引きたくないんです。完全に逸しておきたい。ワシントンでは国民に対する大掛かりな攻撃が行われている。そこに人が目をむけないように、どこか別のところを向いていてほしい。どうすればいいか。恐怖に陥れればいいんです。人々をコントロールする最良の方法は恐怖を利用することです。だから、もしも我々を滅ぼそうとしている「悪の枢軸」が存在するならば、人々は恐怖に怯えて四の五のいわず、指導者のいうがままになり、指導者が人々にしていることにいちいち神経を尖らせることはあるまい、とこのようにかんがえているのです。


メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)

メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)