モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「前例主義」病の恐怖

仕事で他の人と話をしていて、まったく咬み合わないことがある。「ことがある」と言うのは控えめな言い方で、率直に言うと、まったく咬み合わないことが多い。

なぜ、咬み合わないのだろうか。一時期は僕の考えがおかしいのだろうか、とか、他の人が気づいていないのだからビジネスチャンスととらえよう、などと思ったものだが、最近はほとほと疲れて、他の人と話すのは嫌になってきた。

ひきこもりの生活を続けながら(「ひきこもり」と言うのは、ちょっと大げさだけど、社長にしては僕はかなり引きこもっている方だと思う)、考えてみた。なぜ、話が噛み合わないのだろうか。

たどり着いた答えは、前例が無いものに対する姿勢が180度違う、と言うことだ。

 

たとえば誰かと、新しい技術やビジネスの話をすると、大抵の人は開口一番、「前例があるの?」「どこか他がやってるの?」のと聴いてくる。

僕は少し自慢げに「前例はありません」「まだどこもやっていません」と答える。僕たちが、この仕事をする最初の人間になるんですよ、と言う希望と興奮と高揚とともに。

しかし、返ってくる反応は、僕の期待とは全く逆なのだ。

「前例がないんなら難しいね」「他がやってないってことは、可能性が無いってことでしょ?」。

 

これはあまりに根本的な考え方の違いなので、僕は二の句が継げない。失望する隙間すらない。数学の証明問題で、定義が違っていたらまったく違う答えにたどり着くのと同じだ。

 

そんな時、以前、某大手メーカーの技術者として、国家レベルの技術開発プロジェクト に携わっていた時のことを思い出す。そのプロジェクトには「絶対失敗はできない」と言う空気が漂っていた。すべての人を萎縮させる空気の下でプロジェクトリーダーが考えるのは、「成功と評価されること」だけ。そのために何をするか。まず、目標を下げる。ほぼ間違いなくできることだけをやる。「成功のデモンストレーション」に力を注ぎ、本来の目的である(見た目は地味だけれど、将来の製品開発には意味のある)技術開発は何も評価されなくなる。当然のごとく、新しいことにチャレンジしよう、などと言う気持ちは萎えてしまう。


最近お役所では「イノベーション」と言う言葉が大流行だ。でも、「イノベーション」を国民に求める前に、政府・行政・大企業にはびこる前例主義を撲滅するべきではないですか? 前例がないことはやらない、一度決めたことは変えない、部署の縄張りを超えた仕事はしない。そんな体質からイノベーションが生まれるとでも?


 技術開発とは、今までにない新しい技術や価値を作ることだ。だったら、成功するのは100に1つ。いや、もっと少ないかもしれない。誰だってわかることだ。

 

企業は、新しいものを次々と考えだし、失敗を恐れずチャレンジする。行政は社会と科学技術への見識を高め、前例に頼らず、本物を見抜く力を磨く。

それが、イノベーションを実現する社会だと思う。

 

前例がないものは、たいていは未完成で、時に遊びのように見える。もし、そういうものを観て、わくわくした気持ちがおきないなら、すでに「前例主義」の病に侵されているかもしれませんよ。