モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

頭の良い人は

頭の良い人は、自分がすべてを知っていないことを知っているから、知らないことを求めて質問する。たとえ相手の言うことの99は知っていても、知らなかった1を知るために。

 

頭の良くない人はそのことを知らないから、質問する人のことを無知だと見下し、横柄な態度を取る。自分が何でも知っていると勘違いして、何も学ぼうとしない。

 

そうして頭の良い人はさらに賢くなり、頭の良くない人は、何も知らないまま、知らないことに目を向けることさえなくなっていく。

 

そんな風景を、今まで何度も見てきた気がする。

 

弱者だからこそ、卑怯なことはしない。

弱者だからこそ、卑怯なことはしない。
そうでなかったら、いいところがなくなる。


これは、糸井重里の「思えば、孤独は美しい。」にある言葉だ。


なるほどな、と思った。と同時に、何かひっかかるところもあった。


この言葉は、卑怯なことをしない生き方をしている人は弱者になりやすい、ということを裏返して言っている。

あるいは、強者になりたければ卑怯なことをしなければならない、ということを僕たちが思っている、ということを前提にしている。

それはおかしいのではないか。


卑怯なことをしない人たちが強者、とは言わなくても、すくなくとも弱者ではない世の中であってほしい。

もし今の世の中がそうではないのだとしたら、この世の中の方がおかしいのだ、と思いたい。


そんなことは虚しい理想論なのだろうか。でも、僕は、もうしばらくはあきらめないでいたいと思う。

死んだ気になれば何でもできる

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死んだ気になれば何でもできる―――そう思えるのは、元気だからだ。

死を選ぼうとしている人は、冷静で客観的な視点を失っている。だから他者が必要なのだと思う。外から見た自分に気づかせてくれる他者が一人でもいれば、人間は必ず生きられる。


死んだ気になれば何でもできる、というのは真実だと思う。もし普段から「死んだ気」になれれば、何も怖くない。そういう意味で、死を意識することはけっしてネガティブなことではなく、むしろ最高にポジティブなことなのかもしれない。


「死にたい」と思う気持ちが沸き起こってきたなら、それはあたらしい自分に変わろうとする決意であり、勇気なのだ。物理的に死ぬなんて、もったいない。死んだ気になってやりたいことをやればいい。


必要なのは、そのことを、他者がそっと教えてあげることなのだ。

創造とは伝達と合成である

自分が「これは自分の信念だ」と思っていることも、実は自分で考え出したことではなく、誰かから与えられたものだったりする。


自分が考えたことだ、と信じていても、それは昔、読んだ本に書いてあったことだったり、誰かに言われたことだったり、他人がやっていたこどだったりする。気づいていようがいまいが、真の「オリジナル」なんてない。かなりの「思想家」であっても、自分自身の思考の中で見つけたことなんて、ほとんどないんじゃないだろうか。


ただ、ある考えが100%外から与えられたもの、ということでもないと思う。外から与えられたものを内に取り込む時、自分自身の体験や別な考えと組み合わせて、少し変化しているはずだ。ある考えが人から人に伝わっていく時、「考え」は少しずつ変わっていく。


つまり、人間は「伝達マシーン」であると同時に「合成マシーン」でもある。普段、意識するかしないかは関係なく、人間は常にあたらしい考えを外から取り込み、それを頭の中でミキサーみたいに混ぜて、またあたらしい考えを作っている。その考えを、また他の人に伝えて、そこで合成されて、考えはさらに変化していく。


伝達と合成。人間の創造力を分解すれば、結局、この2つの単純な作業を、繰り返し、ひたすら続けているだけなんじゃないだろうか。

人類は有史以来、壮大な「伝言ゲーム」をやっているだけなのかもしれない。でも、それはけっして単調でつまらない作業ではなく、カオス理論のように、単純な作業から複雑な結果が現れる、「人知を超えた」な営みなのだろう。

創造力とは、しがらみを忘れて何が大事なのかをかんがえること

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イタリア選手は無念だろうな。たとえば観客なしで前日にやるとか、別のスタジアムでやるとか、できなかったのかな。

「安全」や規則はもちろん大事だけど、なにか問題が起きた時、しがらみを忘れて、何が大事なのか、何ができるのかを考えて、臨機応変に対応するのが、創造力であり、団結力であり、思いやり、なんじゃないだろうか。

消費税は中小零細企業にとって最悪の税金(日本の将来を考えるなら、消費税は廃止すべきだ)

企業が滞納している税金のうち、もっとも多いのが消費税だ 。税金滞納統計によると、平成29年度の新規発生滞納額6,595億円のうち、消費税は3,706億円。滞納税金の56%以上を消費税が占めている。

この数字から、消費税が負担になっている企業・自営業者が多いということが容易に推測できる。自分自身が小さな企業を経営する身として、消費税負担の重さは実感している。


消費税が中小零細企業・自営業者に負担になるのは、「赤字でも払わなければならない」税金だからだ。ここに大きな問題がある。利益に対して税金がかかる所得税なら、儲けがあれば税金を払い、儲けがなければ税金は払わなくていい。儲けがあれば税金を払う余裕もあるから、自然な課税方法だ。

消費税だって同じだろう、と思う人もいるかもしれない。売上にかかる消費税と仕入れに係る消費税は相殺されるのだから、儲けがなければ消費税は払わなくていいではないか、と。でもこれは違うのだ。売上にはほぼすべて消費税がかかるが、支出の中には消費税がかからないものがある。代表的な「非課税支出」が社員の給料(給与)や役員報酬だ。


簡単な数字で考えよう。ある企業が、税抜で年間1000万円の売上があり、そのために1000万円の仕入れをしたとする。売上にかかる消費税は100万円。仕入れ分の消費税も100万円。実質の消費税負担は差し引きゼロになる。利益(この場合、ゼロ)に対する消費税負担額(やはりゼロ)は妥当だといえる。

一方、同じ1000万円の売り上げでも、かかった経費がすべて社内の人件費だったとする。人件費であろうが支出には変わらないので、企業の利益はゼロでかわりがない。仕入れとの違いは、給与には消費税はかからない、ということだ。支出が人件費の場合は、事業主は売上にかかる消費税100万円をまるまる収めなければならない。


実際、僕の経営する小さな会社は前期赤字だったにもかかわらず、かなりの消費税を払わなければならなかった。サービス業の性質上、支出の中で人件費の占める割合は大きいから、消費税の負担率も高くなる。

人件費の割合が高いのは、サービス業に限ることではない。一般に、小さな企業は、大規模な設備にかけるお金は少ないし、下請けの末端にいるとそれ以上外注することがない。結果的に労働集約型の企業が多くなるから、人件費の割合が高くなる。中小零細企業や自営業にとって、消費税は大きな重荷になるのだ。


人件費の割合が多いほど消費税負担が増えるという問題は、経営者だけの問題ではない。消費税負担が大きくなれば、経営者のマインドは、自社で人を雇用するより、外注したほうがいい、という方向に傾く。同じ作業でも外注なら消費税がかかるので、売上から相殺できるからだ。つまり、消費税は雇用にも大きな影響を与える。


もちろん、世の中の経済がすべて「税抜き」で組み立てられ、消費税が2%上がれば売上も2%あがるようなしくみなら問題はない。しかし経営者であれば誰もが知っているように、現実は違う。この10月の増税でも税込み価格を変えていない店は多い。税込みの値段が上がれば、消費者が離れてしまう、と恐れる経営者は多いのだ。

あるいは、ほとんどの行政や大企業には「○○円以下」なら簡単な手続き(入札や相見積もりが不要など)で発注できるというルールがあるから、担当者はその額以下で発注しようとする。しかし、その上限額はたいてい「税込み」で、税率が上がってもルールは変わらない。つまり、消費税があがれば、税抜の売上は目減りしてしまう。


このように中小/霊先企業を苦しめる消費税は、日本の経済の低迷や経済に関わるさまざまな問題の根源的な犯人だと僕は考えている。日本に消費税が導入されたのは、バブルが下り坂にかかった1989年。それと時を同じくして、日本の経済は長い低迷が続いている。消費税の導入と日本経済の低迷はぴったりと重なるのだ。これは単なる偶然だろうか?


バブルの前の経済には消費税はなかった。消費税を廃止して、経済がどうなるかを見てみるのは、けっして暴論ではない。(だいたい経済の理論なんて仮定次第でなんとでも言えるから、予測に毛の生えた程度のものだと考えている。)消費税を廃止して、必要なら所得税を戻せばいい。

少子高齢化、人口減少、格差・貧困などさまざまな問題に直面し、日本の経済はボロボロなのだ。将来後悔しないためには引き返す勇気もいる。

少人数で戦っている人ほど強い

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僕が、大組織よりも、小さなグループや個人に期待するようになった理由は、少人数で取り組んでいる人たちほど「強い」ということを発見したからだ。


少人数(ときには一人)の組織で他の人に頼ることができない環境にいる人たちは、自分自身で、さまざまな問題と格闘せざるを得ない。それは辛いことだけど、日々の問題を乗り越えるうちに、自然に知識が身につき、経験が蓄積され、視野が広くなっていく。


政治も同じだと思う。「大組織の問題点ショールーム」みたいな今の与党の中では、たとえ有能な人物でも成長できず、腐っていくだろう。小グループで戦っている政治家の方が、多様な人々の意見を伝え、より間違いのない判断をしてくれる。なにより自分自身で考え、行動する人になる。そうやって苦労してきた人は、タフで、優しい。

これは逆説的な発見かもしれない。だって、本来は、たくさん人がいる方がいい仕事ができる、とずっと信じてきたのだから。ただ、それが正しいのは、個々の人がそれぞれの能力を最大限に発揮できれば、とうい前提条件のもとでの話だ。上意下達、組織優先の中では、個人の能力は殺される。有能な人ほど、能力を捨てることになる。


能力のある人が一人で戦う勇気を持てば、世の中は画期的によくなるだろう。そして何より、本人自身が今よりハッピーになるだろう。