モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「魔太郎がくる!」は弱いものの分身であり、味方なのです


藤子不二雄Aさんが亡くなられて、追悼の気持ちを込めて読み返したのが「魔太郎がくる!」。

これはまったく真面目な話なんですが、僕は「魔太郎がくる!」を、今の子どもたちに読んでほしい、とずっと思ってきました。

なぜなら「魔太郎がくる!」は、いじめられっ子にとって心の支えだからです。いつかあいつに復讐してやる、と思うことで、明日を生きる希望が持てるからです。

一方、いじめっ子は「こいつ、もしかしたら魔太郎かも…」と思っていじめを躊躇するかもしれないじゃないですか。いじめられっ子にとっては、ちょっとした「抑止力」でもあるのです。

でも、「魔太郎がくる!」には残酷なシーンがたくさん出てくるのでは、って?。そのとおりです。はっきり言って、魔太郎が受けたいじめより、魔太郎の復讐の方がはるかにひどい笑。何もそこまでしなくても、って毎回思います。(当初の復讐シーンがあまりに残酷なため、後の版では書き換えられたシーンもあるらしい)

でも、そういう残酷なシーンも含めて「魔太郎がくる!」なんです。これは漫画、空想です。いじめられっ子は、現実にはありえない空想を通じて、それぞれの想像力を高めていけるのです。その経験は将来、大きな力になるはず。いじめられたら、それを何かに利用しなければ損じゃないですか。

それでも、現代では「こんな残酷な漫画、絶対だめです!復讐なんてもっての外!!」という人もいるでしょう。そういう人って、ほんと、いじめられっ子の気持ちがわかってないなー、と思うんですけど、僕の言うことはともかく、「魔太郎がくる!」第一巻の見返しに書かれた、藤子不二雄先生のメッセージを読んでください、って。

そこにはこう書かれています。

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僕たちは、子供の時から気は優しくて力なしだったので、よくいじめっ子にいじめられました。だからいじめっ子は大っ嫌いで、いじめられっ子の気持ちがよくわかります。

魔太郎はそんないじめられっ子や弱いものの分身であり、味方なのです。メラメラメラ〜!!

藤子不二雄