モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「魔太郎が来る」は今こそ読まれるべき漫画

子供の頃は「怪物くん」「魔太郎が来る」「プロゴルファー猿」、大人になってからは「笑うせぇるすまん」。藤子不二雄Aさん、すなわち、安孫子素雄さんの漫画には大きな影響を受けた。

当時は、相方の藤本弘さんと二人のペンネーム「藤子不二雄」だったから、どちらがどの漫画のアイデアを出したのかは知らなかったけど、あの頃から数十年がたった今でも心のなかに刻み込まれているのは、我孫子さんの漫画のほうが多いと思う(もちろん、藤本さんの「ドラえもん」にも大きな影響を受けたけど)。

我孫子さんの漫画は、子供心にも、「こんなブラックな漫画を少年誌に載せていいの?」と思うくらい、ブラックだった。幽霊や怪獣のような異世界の怖さではなく、すぐそばにいる人間の内面の闇や矛盾の恐ろしさを、子ども心にも感じ取っていたのだと思う。それは、人の世の中を学ぶ、すばらしい教科書だったと、今思う。


実は、前々から、「魔太郎が来る」を今こそ漫画かアニメにしてほしい、と思っていた。昼間はいじめられっ子の魔太郎が、夜、魔術を使っていじめた奴らに復習する。復習の手段もかなり残酷で、心にぎりぎりと刺さる。現代の「常識的な」大人は「教育上いかがなものか」と疑問を呈し、おそらく出版禁止・放送禁止の問題作になるだろう。

でも、僕は、そんな大人たちは、いじめられっ子の気持ちをわかっていない、と思う。「魔太郎が来る」は、いじめられっ子の心を癒やす友だちなのだ。「いつか復習できる」と空想することで、前向きな気持や明日への希望をもつことができる。ほとんどの子どもは、本当に復習できるとは思っていないし、たとえ本気で思ったとしても、実際に復習することはまずない。復習というエネルギーはおとなになるに連れて他のことに昇華されていくだろう。


「復習で人が傷つけられるかもしれない」なんて極めて確率の低い心配をするより、「魔太郎が来る」を読んで救われる子どもは少なくないはずだ、と希望を持つべきだし、それは間違いなく正しいだろう。


どんなことであれ、空想は子どもの本能であり、心の友だちであり、生きるエネルギーだ。


「魔太郎が来る」だけでなく、さまざまなことを経験しはじめた子どもの頃、矛盾と闇に満ちた大人の世界を垣間見せてくれた藤子不二雄Aさんとその漫画に、僕は心から感謝している。



digital.asahi.com