モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

情報は記憶となり、記憶は思考を作る

ある本にこんなことが書いてあった。

昔、ある国が、戦争プロパガンダ映画の効果がどれくらいあるのかを調査した。被験者にプロパガンダ映画を見せた後、愛国心がどれくらい強くなっているかを測ったところ、ほとんど変化がなかったそうだ。ほとんどの人は、「政府によるプロパガンダ映画」というものの胡散臭さを感じ、そう簡単に信じるようなことはなかった。

しかし、だ。

それから数ヶ月ほど経ってから、同じ被験者の愛国心がどうなったかをもう一度調べた結果は驚くべきものだった。愛国心は明確に強くなっていたのだ。

時間が経つにつれ、誰がそれを言ったかの記憶は薄れ、その内容だけが残るのではないか、というのがこの本の仮説だ。



この「発見」は意外な面もあるが、自分の経験を思い返すと、納得できる気がする。時間が経つほど、それをどこで誰からどのように知ったかという記憶よりも、それが何だったかの記憶の方ががより強く残っているように思う。極端な場合は、自分は以前からずっとそう思っていた、と錯覚することもあるかもしれない。


情報は記憶となり、記憶は思考を作る。

この話は、どんなに胡散臭い情報でも効果はある、ということを意味している。街を走り回る「バニラカー」も、どこぞのTVショッピングも、某国の政権の発表も。その時は「胡散臭いな」と思ってたとしても、その内容は確実に記憶の中に蓄積していき、それがいつの間にか自分の思考の基盤となっているのだ。


もし、そんな人間の性質を知っている人が、人々を操ろうとしていたら、と思うと恐ろしくなる。


……と、ここに書いた考えも、いったい自分のものなのかどうか、怪しくなってくる。それは、(もう忘れてしまっているが)どこかで誰かに吹き込まれたことなのかもしれないのだ。