モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

音楽が街を創り、街が音楽を育てる:「渋谷音楽図鑑」

www.ohtabooks.com


「渋谷音楽図鑑」を一気に読んだ。期待以上に面白い本だった。


著者のひとりで、この本の首謀者?である牧村憲一氏は、渋谷を拠点に、50年以上にわたって音楽業界に携わってきた人である。牧村氏自ら目撃してきた、渋谷の音楽カルチャーの変遷は、その頃にタイムトリップして傍観しているようなリアリティがある。ここに書かれた渋谷カルチャーの歴史は、日本の音楽カルチャーの歴史ともいえる。


この本の主題は「渋谷の音楽」であるが、けっして音楽だけの本ではない。渋谷という街に関わる、3つの歴史を知ることができる、「一冊で三度美味しい」本なのだ。



ひとつ目は、「渋谷音楽図鑑」というタイトルが示すとおり、渋谷を拠点とした音楽の歴史だ。

60年代から70年代にかけて、渋谷に音楽文化をもたらした小室等はっぴいえんど、すぐその後に続く、吉田拓郎かぐや姫荒井由実。80年代に洗練された「都市型ミュージック」を発展させたYMO山下達郎大貫妙子。2000年代に「渋谷系」と呼ばれる音楽を確立した、フリッパーズギター。どの世代も、たとえ音楽に没頭するほどのファンではなくても、必ず一度は渋谷発の音楽に感化されたことがあるはずだ。

あらゆる文化の担い手は、人である。優れた才能を持った人がいなければ、文化は生まれない。あたらしい音楽を創り出す天才が現れ、彼ら・彼女らが陽の光を浴びると、そのまわりにいる「いぶし銀」のようなプロフェッショナルたちにもまた光があたる。そうして、より広く、深い音楽カルチャーが醸成されていく。どんな天才であっても、一人だけで、多数の人々に影響を与える文化は作ることはできない。さまざまな人たちの力を集まることが不可欠なのだ。人々のつながりは見えない力をもたらし、そこに化学反応をひき起こす。そうした一連の現象が、渋谷のカルチャーとして定着していく。



この本のふたつ目の主題は、渋谷という街の歴史だ。音楽というカルチャーに、デザインやファッション、商業や広告といった、より広いカルチャーが結合し、それが渋谷という街を作っていった。

東京のはずれにある、坂だらけの辺鄙な町だった「シブタニ」は、64年の東京オリンピックを契機に大きな変貌を遂げる。東急と西武というライバルがそろって渋谷に商業施設を作り、若者の「文化」の拠点を目指した。中核商業施設につながる坂道の途中に、ライブハウスやレコード店など、感度の高い若者に向けた店が生まれ、さらに意識の高い若者をひきつける。そのような街の変遷は、文化を中心とした街づくりの重要な歴史でもある。



みっつ目は、より一般的に、あたらしいものが生まれる過程の貴重な記録である。それは、人と場の相互作用とも言えるもので、音楽だけでなく、他のあらゆる芸術・文化、学問や科学技術の発展に共通する、とても重要な要素だと思う。なにか新しいものが生まれる場所には必ず、人のつながり、人を支える場、そして、それらを時間的、空間的に包み込む、たえず変化しながら不変な本質を持つ、大きな存在があるのではないだろうか。それは、人と街の間にある「空気」のようなものかもしれない。


この本は、音楽ファンだけでなく、あたらしいことにチャレンジしているすべての人に貴重なヒントを与えてくれるだろう。そして、「渋谷音楽図鑑」がそのような貴重な本になっているのは、50年以上に渡る渋谷文化の歴史を詳細に記録し、文章にしてくれているからだ。断片的ではあるが、まるでその場に居合わせたかのように感じる具体的で詳細な描写は、後の世代を生きる人々にとって知恵の源になる。

自らの体験を語り部として後世に残す、ということもまた、文化の形成にとってとても重要なことだと、牧村氏は考えているのだろう。それは、渋谷の音楽文化を育て、逆にそれに育てられた牧村氏だからこそできることなのだ。