モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

バック・トゥ・ザ・フューチャーの”メイド・イン・ジャパン”

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映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の有名なシーン。

1855年に埋めた「デロリアン」を100年後の1955年に掘り出すが、上手く動かない。
小さな部品が壊れてしまっていたたためだった。それに気が付いた1955年のドクはその部品を手に取り、苦々しげにこう言います。

『やっぱり”メイド・イン・ジャパン”だ』

1955年のドクの言葉を聞いた1985年のマーティーはきょとんとした顔で返します。

『ドク、日本の製品は最高だぜ』」


1985年当時、このマーティーのセリフに、僕はちょっとした溜飲を下げる思いをもったものだ。まだ社会経験もろくにない学生だったくせに、日本の製品は世界で称賛されていることに誇らしさを感じたのだ。

その数年後、僕は、あるものづくり企業に入社した。それと同時に、日本のものづくりに対する「誇らしさ」の思いは、すこしずつ変わっていった。

入社してすぐ感じたのは、1まわり、あるいは、2まわり上の人たちは、自分たちの会社と自分たち自身に強いプライドを持っていたことだ。実際、その会社は、日本の高度経済成長をささえてきたと自他ともに認める会社のひとつだったし、かつては、学生が就職したい企業のナンバーワンになったこともあった。人気絶頂の頃に入社した先輩たちは、学歴も高かった。

僕が入社した当時は、もっとも社員数が多かった頃に比べて、社員数は3分の2ほどに減っていた。「構造不況」業種と言われ、数年前に大規模な人員カットを行っていた。「首切り」にあわなかった人たちも、赤字部門から「横移動」で違う部署に異動になったため、不慣れな職場で能力を十分発揮できていないように見えたし、同時期に入った若い先輩たちも、お世辞にも夢や活気にあふれているようには見えなかった。もっとも、当時の日本は「バブル」に入りかけていたので、それなりに好況で業績的には回復しつつあったのだが、本質的な課題はなくなったわけではないことはわかっていたように思う。

僕自身は、少しずつ仕事を覚えて、社内のさまざまな人たちと接するようになり、製品の品質を支えているのは、年齢が上の人たちの中でも、比較的学歴が低いが、それ故に長らくものづくりの現場にいて、ものづくりを身を持って熟知しているベテラン技術者たちだ、とわかってきた。

ベテランが歳を取り、若手が自律的に経験をつめないこの状況だと、この会社の製品の品質は下がる一方だろう。それが、入社数年のころの正直な思いだった。この状況は、もしかしたら、日本の他の企業も同じではないか。日本全体の問題なのかもしれない。そんなことを思っていた。


あれから30年以上が経った。もし今、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がリメイクされたら、上のシーンは間違いなく変更されるだろう。日本の代わりに「中国」になるんだろうな、と多くの人は諦め顔でいうかもしれない。

ただ、僕は、ドクとマーティーの発言が逆にならないなら、まだましだと思う。2020年のマーティーが壊れた部品を「やっぱり”メイド・イン・ジャパン”か」といい、1990年のドクが「マーティー、日本製は最高だぜ」という。そんなシーンは、日本人としては見たくない。

そんな不名誉なシーンが作られるかどうかは別にして、もう長らく言われてきたように、日本の企業は一刻も早く変わらなければならない。そのために大事なのは、ひとりひとりの人々が能力を最大限にはっきできる社会のしくみだ。過去の栄光や、企業の規模や、金とコネで政治とつながっていることで、しかもブラックボックスの中で企業の業績が決まるようなことはあってはならない。そのようなことが、もし社会の中にあるのなら、まずそういう「不正なしくみ」を壊し、透明で公正なしくみに作り変えることが必要だ。

社会の正常な発展を阻害するという意味において、不正に関与している人たちは「反社会勢力」なのだ、という決意が、この国のすべての人々と、国を導く政治に必要だと思う。