モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

科学教育は「たけし軍団」でいいのではないだろうか

科学ほどクリエイティブなものはない、と思ってきたので、科学を、決められたルールに従うだけの退屈なもの、と感じる人が多いのなら、残念なことです。

科学教育が、芸術でいえば、絵筆の使い方や色彩論みたいなところで止まっていて、自由に絵を描く、というところまで行きついていないのかもしれません。芸術家でなくても絵を描くのと同じように、科学者ではなくても自由に実験したり、理論を考えてもいいはずだし、それが楽しいのです。

科学に限らず、教育の唯一の目標はそこにあるんじゃないだろうか、と、教育の専門家でない僕が、自分なりの仮説を立ててもいいのだ、と教えてくれたのも教育、なんですよね。

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「そうは言っても、科学の手法は絵筆を習うようにはいかんだろう」と考える人にむけて補足します。


この文章を書きながら思い出していたのは、以前、テレビで放送されていた「たけしのコマ大(コマネチ大学)数学科」です。毎回、ある数学の問題が出され、現役東大生とたけし軍団とたけしが解答を競いあうバラエティ番組で、東大生が受験数学を駆使してエレガントに解く一方で、たけし軍団は「体を張って」「しらみつぶしに」問題を解きます。高校レベルの数学を勉強した人にとっては、たけし軍団のやり方は、やぼったく、滑稽なわけですが、実はたけし軍団のやり方のほうが、科学の本質に近いのではないでしょうか。

解き方がわかっているものは、その解き方を当てはめれば良いわけですが、まだ教科書にのっていない問題、すなわち、科学者が取り組んでいるような問題は、当然習ったことだけで対応できないので、まず、実験したり、観察したり、シミュレーションをします。科学者はそのような試行錯誤をもとに仮説を立て、仮の理論を作り、それが正しいかどうかを再び実験やシミュレーションで確かめるというプロセスを行っていると思います。とりわけ、最先端の科学ほど試行錯誤の連続ではないでしょうか。「千三つ」と表現する人もいますが、まさに千回チャレンジして3回成功すれば御の字というような大変な作業を行っているわけで、その「勝率」はたけし軍団より低いかもしれません。これは一種の「体を張った」作業と言えないでしょうか。それでも、その試行錯誤が楽しいのだ、と科学者は思っているはずです。


そういう科学の姿を知っていれば、実験方法や理論ばかり習うのではなく、たけし軍団のように実際に手や体を動かして、自分で体感してみることが大事だとわかるでしょう。そういう自分の体を張った経験から得た「勘」は、その後、理論を学ぶ時に大きな糧になるはずです。そのような土台がなければ、ほんとうの学習はできない、とさえ思います。だから、教育が目指すべきことは、この「勘」を育てることだと思いますし、それは難しいことではなくて、たけし軍団と同じようなことをやればいいのではないか、と思います。


僕は仕事でプログラムを書きますが、はじめての課題の時は、完璧な設計図を書いてからプログラミングするよりも、ある程度考えたら中途半端でもコードを書いて、具体的なデータをいれて動かしてみて、おかしなところを修正していく、というやり方の方が早くて確実だと経験的に学びました。つまり、日々行っていることは、たけし軍団のやり方と変わりませんし、それが正解だと思っています。


再び芸術に例えるなら、そのような科学の営みは、墨絵よりは油絵に近いかもしれません。いきなり完璧な絵を無駄なく描きあげるのではなくて、構図を考えたら、下書きして、色を塗ってみて、おかしいところは上塗りして、あるいは構図から考え直してまた描いてみて、全体を見ながら細部を修正して…というような感じで、試行錯誤しながら完成させていくのがプロセスです。科学もそれに近いのではないか、と思います。科学に限らず、どんな分野でも、そんな感じなのかもしれません。


僕は、この「試行錯誤をする能力」と、試行錯誤の体験から得た「勘」こそ、人間の最大の知恵だと思うのです。つまり、どんな教育もそれを最終的な目標とするべきだ、と思います。


wired.jp