昨夜の、SONGSスペシャルで、宇多田ヒカルさんがこんなことを言っていた。
もし今、つらくても、そのつらさがあるから、この先、たとえば五年後、十年後、よりよい人生になるかもしれない。もっと幸せになれるかもしれない。そう考えると、どんなことでも、今この瞬間を見るだけでは評価できないと思う。
最近少々落ち込んでいた僕は、この言葉を聞いた時、反射的にその通りだな、と感じた。暗かった周囲に少し光が差し込んだように思った。
でも、それから少したってみると、はっきりと意識はしていないにせよ、僕はずっと、宇多田さんと同じように思いながら、生きてきたようにも思えてきた。自分が今、知らないこと、できないことにチャレンジするのは、自分の経験や知識を広げて「土台」を作ろうと思ってきたからだ。広くて強い土台があれば、その上に大きな塔を建てることができる。そう信じて生きてきた。
でも、僕はただ土台を作ってきただけで、塔の建設には着手できなかったのではないか。土台を作ることばかりに力をかけ、塔を作る仲間を見つけに行くことも、お金を集めることもおろそかにしてきた。そうしているうちに、残りの時間も少なくなってきた。他のことを犠牲にして作ってきたその土台さえ、気に入らなくて、まだ何度も作り直している。
そんな僕の「人生の工事」はどこまで行き着けるのだろうか。人生の最後に、何か人に見せられるものを作ることができるだろうか。
宇多田さんのいう通り、どんなことも今だけでは評価できない。一方で、未来を知ることもできない。そのバランスの中で何か行動を起こすのが、生きる、ということなんだろう。