モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

財務省セクハラ問題の問題

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巷の注目を集めている財務省のセクハラ問題では、官僚の「思考」について、大きな矛盾と問題が露呈したと思う。

財務省はセクハラを受けた記者に対し、名乗り出て財務省の顧問弁護士へ情報提供をおこなって欲しいと、財務省の名前で「依頼」した。これは大きな問題だ。国会でこの対応について批判されると、答弁に立った太田理財局長は「財務省に話せと言っているのではない。なぜ弁護士とも話せないのか」と答えた。

これを聴いて、僕は耳を疑った。太田氏が確信犯なのか、無知なのかはわからないが、いずれにせよ官僚の資格はないことは明らかだ。なぜなら、彼の答弁は、裁判制度のことを完全に無視したものだからだ。

まず、当たり前のことだが、弁護士は「公平な第三者」ではない。裁判官ではないし、ましてや「正義の味方」でもない。弁護士は「代理人」とも呼ばれるように、文字通り、依頼人を弁護する者である。依頼人である容疑者は容疑をかけられた段階では犯人でない。その前提で、依頼人を弁護するのが役目だ。

たとえば、凶悪な殺人事件や巨額の汚職事件の容疑者にも、必ず弁護士が着く。それによって、不当な懲罰や人権侵害を防ぐ役目がある。もし容疑者が無実であれば、冤罪を防がなければならない。もちろん、依頼人のために、だ。

それがいいとか悪いとかという問題ではなく、弁護士は、依頼人を弁護するという役割を担うことで、初めて正当な裁判や、その他のあらゆる法的な協議ができるのだ。


逆に、もし弁護士が、自分を「正義の代弁者」だと思い込み、依頼人は明らかに違法で、悪であるから重い刑罰を与えようようと働いたら、どうなるか。その依頼人は、法律のプロによる集団リンチを受けるようなものだ。少しでも容疑があれば、誰も助けてはくれず、一巻の終わりになる。

こういうことを防ぐために、どんな者にも「代理人」がいて、その代理人は、依頼者のために働く(もちろん法律的に正しい範囲で)ことが正しい、とされるのだ。


このことを頭において、今回の財務省の問題を見れば、太田氏の言っていることが、いかに無茶苦茶かがわかる。セクハラの被害者が、財務省の顧問弁護士=代理人に情報を提供すれば、告発したい相手に有利になるだけだ。敵に塩を送るどころか、戦う前に、こちらの戦略をすべて教えてしまうようなものだ。

こんなまやかしを、財務省という公的な機関の名前で、また、国会の答弁の場で堂々と述べる役所や官僚に、行政の資格はない。事務次官が、あんな低レベルなセクハラ発言をすることだけでなく、その後の対応を見ても、大変残念だが、彼らはけっして頭のいい人たちではない。それが露呈した事件だったといえる。