モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

学生を持ち上げるな!

こういうことを書くとバッシングされるかもしれないが、やはりこれは言っておきたい。

今の社会は学生を持ち上げすぎてませんか?で、学生の方は調子に乗りすぎてませんか?と言うことだ。

以前、某大学の某ゼミに行った。とあるプロジェクトのアルバイトを募るためだが、いきなり「1万円くらいもらわないと参加しない。」と、ある学生が言った。これだけだと、まあそんな学生もたまにはいるだろう、と思うかもしれないが、何というか、喋り方の端々に、そのゼミ全体が大人をなめている、みたいな感じが伝わってくる。面白そうなら、つきあってやってもいいよ、と言う空気だ。

僕は、そんな学生に手伝ってもらう必要はない、と決めた。

いつの頃からか、新聞やテレビで「◯◯大学の学生達が、こんなことをやっています。」みたいな記事が増えてきた。そのほとんどは、内容は大したことなく、学生がやっている、と言うことだけで取り上げられたものだと思う。大人も、学生と言う言葉に自分自身の青春時代を重ねて、現実以上の美談を作り上げていると思える。

それでいいのだろうか?

未熟な学生たちは、そうしてマスコミに取り上げられ、ちやほやされることで、まるで自分がスターになったかのように思い、自分はすごいのだと錯覚している。自分たちの力に大人が屈服した、とまで思っている。

そういう学生も卒業すれば、もはや大学の庇護はなく、社会の最底辺からスタートすることになる。そして、学生時代とのギャップにショックを受け、登社拒否になるか、点々と職場を変えるか、そういうのが耐えられない人はニートになる。「僕にはすごい能力と実績があるんだ。下働きなんてやってられるか」と言うわけだろう。

でもそういう学生はどこへ行っても、役に立たない。海外で中国人や韓国人と競争するはめになれば、ことさらだめだろう。(それをうすうす察してか、最近は、海外へ行こうという意思を持った学生は減っているそうだが。)

学生時代の体験はその人の一生を左右する。だからこそ、正しい認識を持たせなければならない。それが大人の義務だと思うし、間違った学生が社会に出てくれば、大人たちも苦しむことになる。

学生には学生時代に、自分たちの未熟さを思い知るような体験をさせるべきだ。若いうちにそういう体験をしておけば、将来必ずそれが生きる。

大人は、学生を甘やかすのではなく、学生の真の成長を祈って、正しいことを教えようではないか。学生に嫌われるくらいなんてことはないし、数十年後には必ず感謝してくれるだろう。何よりも大人自身のためだ。