モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

組織に押しつぶされそうになったら

もしあなたが組織の圧力に押しつぶされそうになっているなら、組織を離れることも考えて欲しい。あなたが押しつぶされそうに感じるのは、あなたが正しい考えを持っている証ですから。

そんなあなたなら組織から離れても大丈夫ですし、あなたのような人こそ世の中が求めている人なのです。隠蔽や改竄を言われた通りやる人より、遥かにずっと。

自信を持って、みんなのために一歩を踏み出してください。

 

 

「ガラパゴス化」を利用して「オタク気質」を開放せよ

medium.com


「日本に興味をお持ちの方なら、最新テクノロジーと全く時代遅れのテクノロジーの間にある、時に印象的な二項対立が多くの場所で並存していることにお気づきかもしれない。お台場の人工島に実物大ガンダム立像を設置したロボット工学の世界的リーダーであるこの国は、2022年のウィンドウズ・エクスプローラーのシャットダウンに慌てふためき、いまだにフロッピーディスクやファックスに頼っているトップリーダーの一国でもある。」

日本のウェブサイトの「異質性」の背景を、日本になじみのある米国人が考察する文章。なかなか興味深い。

これを読んで、僕が企業の駐在員として米国に住んでいた、90年代終わりから~2000年はじめのことを思い出した。若い人は信じられないかもしれないが、当時は、この文章とはまったく逆の状況だったのだ。

日本からの出張者と米国のパートナー企業の社員が会議をする時、米国人はたいてい文字だらけの資料でプレゼンしていた。一方、日本からの同僚は写真や絵や図表をふんだんに使った(当時としては)とてもビジュアルな資料を使っていた。また、当時はちょうど携帯電話が普及し始めた頃だったが、米国人が小型トランシーバーのような大きくて重い携帯電話をうれしがっていたとき、日本からの出張者はすでに胸ポケットに入るような、小さくておしゃれな携帯電話を持ってきていた。僕はそれを見て、内心「日本はすごいな」と思い、少し誇らしかった。日本は経済でも技術でも文化でも、世界のリーダーになるに違いないと。

でも、残念ながら日本の進化はそこで止まってしまった。じわじわ、だらだらと続いた低迷は、「茹でガエル」には気づきにくい。一人あたりGDPや所得、物価に大きな差ができた今となって、ようやく「なんでこうなったのだ!?」と騒ぎ始めている。いや、まだ多くの人は、「茹でガエル」のまま幸せな幻想に浸っているのかもしれない。「失われた30年」にも気づいていないのだ。

これからどうなるのだろう。どうすればいいのだろう。そう考えても答えはなく、ただ絶望に近い感情が生まれるだけだ。そんなこと考えずに、とりあえず今日を楽しく生きよう、と思うしかない。それがさらに状況を悪化させると知りながら。

ここまで来れば、ある種の「逆転ホームラン」に望みをかけるしかない。世界に取り残された日本であることを逆手に取って、あえて「ガラパゴス化」を進めることで、逆に世界とは異なる、あたらしいものを生み出せないだろうか、と考える。

日本はよく「職人文化」だと言われる。現代の言葉なら「オタク文化」。それが日本の、日本人の伝統的な強みなのだ。そこを先鋭化させて、世界の職人技術、世界のオタク文化を開花させてはどうか。組織の「同調圧力」に従う日々より、自分の創造力を開放することこそ、本来の日本文化だと僕は思う。それこそ、古来から日本人が楽しんできたことだと思うのだ。

大麻を吸った学生と裏金に携わった政治家、どちらがより悪いでしょうか。

大麻を吸った学生と裏金に携わった政治家、どちらがより悪いでしょうか。

 

大麻を吸った学生は退部になりました。就職にも影響するでしょう。同じ部の大麻を吸っていない学生も活動できなくなりました。もしかしたら廃部になるかもしれません。

 

長い未来を生きる若者にそんなに重い報いを与えるのなら、十分権力を楽しみ、時効になった裏金で不自由なく暮らせる政治家は、辞職するしかないでしょう。

 

そうしなければ、学生はまた殺されることになります。「世の中は金と権力なのだ」という言葉に、心の芯まで切り刻まれて。

僕が消費税に反対する理由 (消費税は経営者のマインドを低下させ、雇用・賃金を悪化させる原因である)

私は、15年以上にわたって、小さな会社を経営してきました。その中で感じてきた「モヤモヤ」は色々ありますが、その中でも特に「何かおかしいな」と感じ続けてきたのが、消費税です。でもこの「おかしさ」の正体は長らくよくわかりませんでした。考えようとしていなかった、という方が正確かもしれません。そこで、自分なりに考えてみることにしました。そこからわかったことを、できるだけわかりやすく、経営者や被雇用者の目線で、ここに書こうと思います。


■ シンプルな「消費税のない世界」

まず消費税がない世界を考えてみましょう。若い人には架空の世界かもしれませんが、実際、昭和はそういう時代だったのです。けっしておかしな世界ではありません。

具体的な数字で考えましょう。ある企業があり、1年間の収入が1000万円、支出が800万円だったとします。「収入」とは、売上など企業に入ってくるお金、「支出」は経費などの企業から出ていくお金です。

この時、企業の利益は、収入の1000万円から支出の800万円を差し引いた、200万円です。次の図のようになります。いたってシンプルですね。



■ 消費税が導入された世界1~すべての支出に課税される場合

ここで消費税が導入されたとしましょう。(余談ですが、日本で消費税が導入されたのは平成元年(1989年)です。その直後にバブルが弾け、日本が「失われた30年」と呼ばれる長い経済低迷に陥ったのは、たいへん興味深いことです。)

ここでも具体的な数字で考えていきます。説明を簡単にするため、消費税は一律10%とします。企業の(税抜きの)収入、支出は消費税課税前と変わりないとすると、

  • 収入に加えて受け取る消費税は1000万円x10%=100万円
  • 支出にのせて支払う消費税は800万円x10%=80万円

となります。

企業が納めるべき消費税の額は「課税売上にかかる消費税から、課税仕入にかかる消費税を差し引いた額」です(国税庁のホームページにはそう書かれています)。この説明文章では、売上は「収入」、仕入は「支出」と表現しているので、そう読み替えると、この企業が納める消費税は、

  • 収める消費税=収入にかかる消費税 100万円 - 支出にかかる消費税80万円 = 20万円

となりますね。


この消費税20万円は、先に述べた、消費税がない場合の利益200万円の10%に相当しています。これは偶然ではなく、収入・支出のすべてに消費税がかかるなら、納めなければならない消費税も、常に「利益x消費税率(10%)」となります。

経営者目線でいうと、決算時に納めるべき消費税を「(税抜き)利益の10%」と考えておけば、大きな齟齬はありません。これなら消費税が導入されたといえ、まだシンプルなしくみですね。



■ 消費税が導入された世界2~「非課税支出」の罠

問題はここからです。実は、実際の消費税計算はそう簡単ではないのです。どういうことか、見ていきましょう。

この説明のために、ひとつ処置を加えます。これまで一括で扱ってきた「支出」を、「課税支出=消費税がかかる支出」と「非課税支出=消費税がかからない支出」に分けるのです。多くの企業で、この「非課税支出」の大部分を占めるのが給与ですので、「非課税支出(給与)」と表しました。

それでは、「支出」を「課税支出」と「非課税支出(給与)」に分けた上で、再び、具体的な数字で消費税を計算してみましょう。

消費税を加える前(税抜き)の収入は、先の例と同じ1000万円とします。支出の合計も、変わらず800万円とします。そのうち、課税される支出(課税支出)を400万円、課税されない支出(非課税支出~給与)を400万円としましょう。税抜き利益も変わらず、1000万円-800万円=200万円、ですね。


この時、この企業が納める消費税額はいくらになるでしょうか?

まず、売上にかかる消費税は、1000万円x10%=100万円です。これも、前の例とかわりありません。

一方、支出にかかる消費税は「課税支出」のみを考えればいいので、

支出にかかる消費税:課税支出400万円 x 10% = 40万円

となります。

企業が収める消費税は、収入にかかる消費税から支出にかかる消費税を差し引いた額でした。すなわち、

  • 納める消費税:収入にかかる消費税 100万円 - 支出にかかる消費税40万円 = 60万円

となります。


「むむっ!さっきの例と収入も支出も利益も変わらないのに、納める消費税は、20万円から60万、と3倍になってるぞ!?」という疑問がわきませんか?利益に対する消費税の割合は、60万円/200万円=30%となりますが、「この割合は大きすぎるのでは?」という第一印象を持つ経営者も多いのではないでしょうか。もっともな疑問ですよね。私も毎年、そう感じてきました。だって「消費税率は10%」なんですから。


残念ながら、この消費税の計算は間違っていません。これまで述べてきたことを図を見ながら追っていけば、そのからくりがわかります。全体でみれば収支で発生する消費税は増えていないのですが、消費税を「納める」相手とタイミングが変わっただけなのです。その原因は、「非課税支出」というものがあるためです。


再び、具体的な数字でみてみましょう。ひとつ前のケース(支出にすべて消費税がかかるケース)では、支出は880万円でした。一方、今回のケース(支出を課税支出と非課税支出にわけたケース)では、支出は840万円と40万円少なくなっています。この支出の減少分40万円が、今回のケースでは納める消費税に加えられたわけです。

これは、課税支出なら支払先に渡していた消費税を、非課税支出(その代表が給与)の場合は支払いには乗せず、かわりに企業(雇用者)が直接納税している、と解釈できます。つまり、企業にとっては、納める消費税の差40万円は、支出に乗せて支出先に納税してもらうのか、支出には乗せずに自分で直接納税するか、だけの違いだけであて、「出金」としては変わっていません。しかし、みかけの利益や企業経営者の「負担感」は変わってきます。ここが問題なのです。



■ 消費税が導入された世界3~「内税方式」だともっとわかりにくくなる

消費税を導入することで生じる「わかりにくさ」が、少しわかってもらえたでしょうか。ここまでの説明は、まず税抜きの収入・支出を考えて、後付で消費税を加える、という順番で説明を行ってきました。すなわち、消費税を分離して考えてきました。この方法では消費税が個別に把握できるので、まだいいのです。現在一般的な経済取引は「内税」、すなわち、売上や経費を、消費税込みの金額で処理する方法が主流です。内税方式の場合、消費税が売上や支出の中に隠れてしまうので、さらにわかりにくくなります。


先で示した具体的な事例を、内税で表現してみましょう。

内税での収入、すなわち税込み収入は、税抜き収入1000万円+消費税100万円 = 1100万円ですね。支出(税込み支出)は、課税支出400万円とその消費税40万円、これに非課税支出(給与)400万円を足しあわせて、400+40+400=840万円です。この時、内税での利益(税込み利益)は、

  • 内税での利益(税込み利益):税込み収入1100万円-税込み支出840万円=260万円 

となります。


内税での利益は、先のケースで述べた税抜き利益200万円に、企業が納めるべき消費税60万円を加えた額になっています。すなわち、内税での利益260万円のうち、60万円は本当の利益ではなく、納めるべき消費税、というわけです。今回のケースでいうと、利益のうち、60/260=約23%は納める消費税となります。「消費税は10%」という感覚から見ると、かなり大きな額と感じるのではないでしょうか。


内税方式の図を見ると、一見、最初に述べた消費税のないケースのように、とてもシンプルに見えます(消費税を収入や支出に含ませたわけですから、当たり前と言えば当たり前です)。しかし、内税であろうが外税であろうが、単なる経理処理の方法の違いにすぎませんから、実質的な利益や消費税額に影響することはありません。ただ、内税にすると消費税がより見えにくくなり、経営者の「感覚」を狂わせてしまうのです。


もうひとつ、内税方式による「錯覚」について付け加えておきます。最初の「消費税のない世界」と今回の「消費税を導入した世界(内税方式)」を比べてみましょう。両者に実質的な利益=税抜き利益の違いはありません。「消費税のない世界」での利益は(当然のことながら)200万円。今回の消費税を含んだ内税方式だと、利益は260万円になります。つまり、実質的に同じ利益にもかかわらず、内税方式ではみかけの利益は60万円増えています。この差は、内税方式の利益には、納めなければならない消費税が含まれている、からです。消費税率が高くなるほど、みかけの利益は増える。これもまた、消費税が与える「錯覚」です。


経営という行為は、機械的な数字の計算ではなく、あくまでも「人の営み」ですから、消費税が経営者に与える「錯覚」は大きな問題をはらんでいます。先の事例の企業の経営者は、期末の試算表(資産や損益の概略計算表)を見ながら、「今年の利益は260万円か。まずまずだな」と思うかもしれません。しかし、その時、その利益に含まれている、納めるべき消費税を正しく把握できているでしょうか?通常、試算表の段階では課税支出・非課税支出を区別していないので、消費税がいくらになるのかは正確にはわかりません。消費税をちゃんと計算していない経営者が悪いのでなく、消費税を直感的に把握しづらいしくみが悪い、と私は思います。 これはけっして経営者の言い訳とは思いません。だって、経営者の本業は経営であって、税務処理ではないのですから。特に小さな企業にとって税務処理の負担は深刻です。企業の税務処理のオーバーヘッドが大きくなるほど、本業に投入できるリソースは減り、最終的には日本経済全体の足を引っ張っているのではないでしょうか。


とにかく、ちゃんと消費税を計算してみると、このケースでは納める消費税が60万円と判明します。経営者は「利益260万円のうち、消費税が60万円もあるの!?おかしくない?せいぜい30万円じゃないの?」と反射的に思いますよね。私自身、消費税のしくみを頭では理解した今でも、毎年決算時には同じように憤ってしまいます。人間とはそういうものなのです。この毎年やってくる心理的衝撃を、私は「消費税ショック」と呼んでいます。



■ 人件費が多いほど、「消費税ショック」は大きい

この「消費税ショック」は、人件費割合が大きいほど大きくなります。ここまでの説明を読んでくれた方には容易に推測いただけることと思いますが、再び具体的な数字で説明してみます。

先の事例で、収入は同じまま、支出がすべて給与という極端なケースを考えてみましょう。すなわち、税抜き収入は1000万円、支出はすべて給与で800万円という場合です。税抜き利益は1000-800=200万円です。

この場合、納める消費税はいくらになるでしょうか?収入と一緒に受け取る消費税は 1000万円x10%で100万円。何度も出てきたので、もうおわかりですね。一方、支出である給与には消費税はかからない(不課税)ので、支出として支払う消費税はゼロです。つまり、この企業が納めなければならない消費税は、

  • 収入にかかる消費税100万円 - 支出にかかる消費税 0円 = 100万円

となります。税抜き収入200万円に対して、納める消費税は100万円。消費税が利益の半分にもなっています。かなり大きな額ですよね。


同じ状況を内税方式で表現すると次の図のようになります。

税込み利益 300万円のうち、消費税が100万円含まれているいうことになります。一見「利益」に見えた300万円のうち、実は1/3にあたる100万円が納めなければならない消費税だった。これは経営者にとってかなりの衝撃ではないでしょうか。

先に示した、支出のうち給与が半分(課税支出400万円と給与400万円)の場合は、税込み利益260万円のうち納める消費税60万円で、消費税は利益の約23%でした。今回のすべてが給与の場合は 、その割合が1/3=約33%と増えています。給与(非課税支出)の比率が高くなるほど、消費税の負担感、すなわち、「消費税ショック」が大きくなることがわかります。



■ 消費税は赤字でも納めなければならない

ここまでは利益がプラス、すなわち黒字のケースを見てきました。赤字の場合は消費税はどうなるのでしょうか?赤字の場合、消費税は納めなくてもいいのでしょうか?


また具体的な数字で考えましょう。収入はこれまでと同じく、消費税税抜き1000万円(消費税込み1100万円)とします。そして、支出は、課税支出600万円、給与(非課税支出)600万円、合計1200万円としましょう。税抜きの利益は、1000万円 - 1200万円 = -200万円、すなわち200万円の赤字です。

この時の消費税を計算します。支出にかかる消費税は、課税支出のみ考えればいいので、600万円の10%、60万円ですね。

納める消費税は、収入にかかる100万円 から、 支出にかかる消費税60万円 を差し引いた 40万円。つまり、この場合でも、40万円の消費税を納めなければなりません。赤字にもかかわらず、です。


同じ状況を内税方式でも見てみましょう。消費税込み収入は1100万円。支出は課税支出600万円+消費税60万円+非課税支出(給与)600万円の合計で1260万円です。この時、税込みの利益は、1100万円-1260万円 = -160万円。すなわち、160万円の赤字です。一方、 納める消費税は(先と変わらず)40万円となります。この場合でも「赤字なのに消費税を納めなければならない」という状況は変わりありません。消費税は赤字でも納めなければならない、というのは心理的にも大きな負担です。業績のよくない企業にとって、消費税はたいへん過酷な税金と感じられるでしょう。




■ 消費税は、経営者へ「負のマインド」を与える

以上で述べてきた、「人件費率が大きいほど納める消費税(の割合)が増える」「消費税率が上がるほどみかけの利益は増える」「消費税は赤字でも納めなければならない」という消費税の性質は、経営者のマインドに負の影響を与えます。毎年、決算時に「そんなに消費税を納めなければいけないの?」という「消費税ショック」を受け続けると、経営者は「(納める消費税を減らすために)人件費を抑えよう」、「(納める消費税を確保するために)内部留保を増やそう」という内向き志向になるでしょう。消費税は、経営者から「人を雇おう」、「給料をあげよう」というモチベーションを低下させるのです。それは、被雇用者にとってもマイナスであることは言うまでもありません。


これまで観てきたことでおわかりだと思いますが、「消費税ショック」の原因は、「非課税支出」にあります。特に「非課税支出」の中で大きな割合を占めるのが人件費(給与)です。世の中の消費が「モノ」から「コト」へ移行する中、すなわち、ものづくり産業からサービス産業へと移行する流れの中で、企業の支出の中での人件費の割合は増えているので、経営者が受ける「消費税ショック」は、より大きくなる傾向にあります。すなわち、雇用や賃金の改善に、より大きな重しになっているのです。



■ 給与所得者は、(実質的に)売上消費税を徴収されている

ここまでは経営者の目線で、消費税のしくみとその影響を分析してきました。同じしくみを、給与を受け取る被雇用者の視点から見ると、また別の問題が見えてきます。「給与所得者は、(実質的に)給与の消費税を強制徴収されている」という問題です。


先の例に戻って具体的な数字で見てみましょう。企業の税別収入1000万円、支出は課税支出400万円、給与400万円の計800万円で、消費税が課せられたケースです。

このケースでは、この企業が納める消費税は、収入にかかる消費税100万円から、課税支出にかかる消費税 40万円 を差し引いた 60万円でした。

もし給与も課税支出なら、給与400万円に消費税40万円を乗せた440万円が給与として支払われるので、企業が納める消費税は40万円少なくなって、20万円となります。これは先の述べた、すべての支出に消費税が課されるケースのことで、企業が納める消費税は、税抜き利益の10%になります。この場合、税引き利益200万円の10%、20万となります。これなら直感的にも納得できますね。


しかし、現行の税法では「給与は不課税」となっているので、給与にかかる(べき)消費税は、実際には支払う給与に加えられません。これは、給与にかかる(はずだった)消費税は、企業がいったん預かって、決算時に企業が給与所得者のかわりに納めている、と解釈できます。つまり、「給与不課税」というルールは、給与の乗せて受け取るはずだった消費税を企業が源泉徴収しているのだ、と解釈できます


このことがピンと来なければ、もし給与所得者が個人事業者になったらどうなるかを考えてみてください。これまで400万円の給与をもらっていた被雇用者は、個人事業者となったので、これまでの税抜き400万円の給与に、消費税10%を加えた、440万円を請求し、企業はその額を支払うことになります。この440万円が、個人事業者の税込み売上であり、発注元の企業が支払う税込み支出です。個人事業者は、給与所得者だった時より消費税分40万円多く受け取り、雇用者(企業)は給与だった時より40万円多く支払う、ということです。

この40万円の元となった400万円は、給与所得者であれば給与、個人事業者であれば税抜き売上です。すなわちこれら2つは同じものです。すなわち、「給与不課税」というのは、本来は給与にかかる消費税分を企業が一時的に預かっている、ということです。


現行の税法では、給与所得者には経費が認められていません。仕事のために本を買ったり、有料のセミナーを受講したり、コンピュータなどの機器を購入したりしても、個人の税務上それらの出費は認められていません。経費が認められないということは、それらの出費の歳に支払った消費税も相殺されない、ということです。給与所得者は、収入の消費税は(事実上の源泉徴収という形で)納めているのに、支出の消費税はいっさい認められていない、という不公平な状態なのです。

「給与所得者には『給与所得控除』というものがあるのでは?」と言う方もいるかもしれません。しかし「給与所得控除」は消費税導入前からあるもので、もともと所得税計算の概略経費として控除するものです。給与所得控除には、支出消費税の相殺分も含まれる、という解釈も可能かもしれませんが、一括の控除は、本来個々の支出にかかる消費税の計算とは性質が異なり、あまりに大雑把です。末端でそのような「アバウト」なことを認めるなら、雇用者である企業に細々した消費税計算をさせないでほしいです。



■ すべての人が確定申告するのがもっとも公平

以上で述べたように、消費税は経営者のマインドを冷え込ませて給与を抑え込む可能性があり、給与にかかる消費税は一方的に徴収されている、といえます。しかし、このような消費税のしくみはおかしい、と気がついた給与所得者が、「私は自分で消費税を計算して納めるので課税事業者にしてくれ」と思っても、現行の法律では認められません。企業との雇用関係を破棄して個人事業主になる以外に方法はないのです。ここでいう「雇用関係」には税務だけでなく、社会保険や、その企業独自の福利厚生施策なども含まれます。それらを維持したまま、税務だけを変更することは認められていない、ということです。


では、どうような税のしくみがいいのでしょうか?最後に私の意見を述べたいと思います。


私は、まず消費税という複雑で不正確な税は廃止するのがよい、と私は考えます。消費税には、ここで述べた税務処理の問題の外にも、「逆進性」や「滞納が多い」という本質的で重大な欠陥があります(現在、国税の滞納の約半分が消費税です)。消費税は根本のしくみがおかしいのですから、廃止するのが妥当です。消費税の代わりに、所得税や資産税、「ぜいたく税」など、経済格差を解消し、より公正・公平に徴収できる税を導入すべきです。

消費税をすぐに廃止することは難しく、(しばらくは)続けるしかないのなら、少なくとも、もっと透明性を高め、企業の事務負担や経営者の負担感を減らし、給与所得者や個人事業者にも過度な税負担をかけない徴税のしくみを、一刻も早く導入しなければなりません

そのひとつの方法は、給与所得者を含め、すべての人が確定申告をすることだと考えます。


つまり、雇用者である給与所得者も、税務上は個人事業主として扱い、企業は給与に消費税を加えて支払うのです。ここでは述べませんでしたが、社会保険料をはじめ、現在雇用者が源泉徴収しているものは、すべて給与に加えて被雇用者に支払うのがいいでしょう。その上で、給与所得者各人それぞれに妥当な経費を認め、個人のレベルで収入と支出を相殺して最終的に納める消費税(とその他の税金、社会保険料)を納める、というやり方です。


このように個人での確定申告が基本とする税徴収にしくみを作れば、雇用側の企業の事務負担が減るだけでなく、税務処理の透明性がより高く、各人の状況にあわせた税負担を決めやすく、税負担の公正さを確保しやすくなります。 実際、副業や個人の投資が当たり前になった今の時代に、より正確な収入と納税額を計算するためには、個人の確定申告しかないでしょう。確定申告は、個人に多少の負担はかけますが、むしろそのような確定申告の作業を通じて、一人ひとりが税や社会保障のことを自分事として考えるようになり、よりよい税・社会保障制度に近づくと思います。

「誰もが確定申告をするなんて無理」、という意見もあるかもしれません。そんなことはありませんよ。たとえば、米国では、給与所得だけの人を含めて原則すべての納税者は確定申告しています。マイナンバーが導入され、デジタル庁もできたたのですから、個人レベルの税務処理も今までより簡単で正確になるはずですよね。むしろ、個人に確定申告させない、税や社会保障について考えさせない、「(実質的な)源泉徴収」のしくみが問題ではないでしょうか?



■ 最後に~人間が決めたルールは人間が変えられる

最後に、念のため書いておきますが、ここで述べた「給与に消費税がかかっている」とか「その消費税を企業は源泉徴収している」とかいう考え方は、税務的には「正しくない」記述・表現です。税法ではあくまでも「給与は不課税」であり、その消費税は存在しません。ましてや、源泉徴収などできません。税務の専門家は、おそらくそう言うでしょう。

その意味で、ここで書いてきたことは「こういう解釈ができますよね」というひとつの見方・考え方にすぎません。ただ、長年、経営者という立場で税務に苦労した経験から、「こう考えた方が経営状態がわかりやすく、間違った判断をしにくくなる」という知見であることは強調しておきたいです。私と同じように、日頃、消費税にモヤモヤし、時に違和感を感じている人たちと、その知見を共有したい。さらに、「『非課税』という言葉になんとなく惑わされているけど、実質的には給与の消費税は雇用者が納めている、ということですよね」ということを明らかにしたいのです。それがこの文章を書いた動機です。普段は消費税のしくみ、つまり、消費税はどのように決まり、誰が納めているのかを考えることがない人たち、とりわけ給与所得者に、消費税のしくみを理解してほしい、そして、消費税だけでなく、他の税や社会保障について自分事として考えてほしい、という思いもありました。


私自身は、「給与の消費税は企業が源泉徴収して納めているのだ」と考えることで、それまでのもやもやが晴れ、とてもスッキリしました(しくみがわかったという点ではスッキリしましたが、しくみがおかしい、という新たなモヤモヤは生まれましたが)。とにかく、企業の税務処理では、給与支払いと同時にその分の消費税を「給与所得者から源泉徴収した未納の税金」として把握しておけば、決算時の「消費税ショック」も和らげることはできます。

私がここで述べた考え方は、普段から理性的・客観的にに考えている人には、「わざわざそう考えなくても把握できることでは…」と思われるかもしれません。確かにその通りです。結果(利益や納税額)は変わらないのですから、解釈の違いにすぎません。しかし、人というのは感情の生き物です。すべてのことを「理性的」「客観的」に判断できませんし、限られた情報の中で生き延びるためには「直感的」な行動を優先する、という性質が遺伝子に組み込まれています。今回の消費税の話でいうと、経営者に「消費税の負担が大きい」と思わせるようなシステムはよくありません。間違った判断につながり、経営者のマインドを低下させ、雇用や賃金に悪影響をおよぼします。消費税のしくみをシンプル、かつ、透明にするということが、経営や雇用や賃金を改善し、その結果として、日本経済全体にも良い影響をおよぼすはずだ、と思うのです。

さまざまな知恵の結集をうながす仕事

マスメディアは広く情報を集め伝えてくれるが、個々の具体的なことを深く掘り下げてはくれない。 一方、専門家は特定の領域のことは深く緻密に分析してくれるが、専門外のことや曖昧なことは扱ってくれない。

知識がより広範に高度化している現代では、両者の溝を埋める活動がますます必要になっていると思うのだが、そういうものはまだ「仕事」としては確立していない。自由主義経済がより強固になる中、「金にならない」活動は、たとえ長期的な価値は認められても、継続は難しい。自由主義経済にどっぷりと浸かる中でそう思い込んでしまっているだけかもしれないが、少なくともそういう空気は社会で共有されていると実感してきた。

それでも、そんな「金にはならないけど価値がある」仕事を続けている人たちは数多くいる。けっして特殊な人たちではなく、たとえば、地域を暮らしやすくするボランティアや、様々な理由で困っている人を支援する活動、専門的なことを一般市民に正しく、わかりやすく「翻訳」する活動などだ。いわゆる人道的な活動だけでなく、IT分野でのオープンソースのプログラムは、この分野の発展に大きく寄与してきた、というより、オープンソースがなければ今のITの発展はなかった、といってもいい。

周りに目を向けると、そんな「お金にはならないが社会に貢献している」活動に取り組んでいる人たちがたくさんいて、自分自身も普段、様々なかたちで助けられているのだな、と気がつく。自由主義経済全盛の時代にあってもなお、「経済」と呼んでいるものは私たちの社会活動のほんの一部、少なくとも大半を占めているわけではなく、「お金にならないこと」に懸命に取り組んでいる人たちのおかげで私たちの社会は成り立っているのだ、ということに。


マスメディアと専門家の話に戻る。マスメディアと専門家、その両者をつなぐ活動は、社会に関わる知識や技術が高度化するにつれて、ますます大事になっている。日々生じる様々な問題・課題は、個々の学問分野では太刀打ちできないものも多い。これまでの分野にとらわれない様々な事実や知見を集めて、邪魔なしがらみにとらわれることなく、人間として誰もが持っている直観を大事にしながら知恵をあつめて解決方法を探ることが必要になっている。そのためには様々な人を結集し、「1+1を2以上にする」ようなあたらしい活動が必要だ。

それは、これまでになかった仕事であるゆえに、良い意味での「素人」の視点で取り組む活動になるだろう。「素人」だから、これまでのしがらみにとらわれない。そこがいいのだ。そういう活動が、これからの社会の重要な要素になって欲しい。そのためには、「今すぐお金にはならないが将来社会全体に貢献する」仕事に、周りの人々が目を向け、挑戦する人たちがインセンティブをもつような社会を作らなければならない、と思う。


そのために何ができるかを考えていきたい。

日本人は「パフォーマー」?

gigazine.net


以前いた会社で最初に配属された部署に、Sさんという10歳ほど上のチームリーダーがいた。Sさんは超優秀で、どんな仕事もささっと片付けて、他の人に気兼ねすることなく定時退社していた。

僕がその会社をやめてからしばらく後、そのSさんが社長になったことをニュース記事で観て、驚いた。と同時に、ちゃんと本質で評価するいい会社だったんだな、と思った。


ところで、「忙しそうに見せるだけの無駄な仕事」を「パフォーマティブな仕事」というんですね。ならば、「パフォーマー」は「忙しそうに見せているだけの人」というニュアンスがあるのかな。

「分断」を超えるためには

毎日、マスメディアやSNSで、さまざまな出来事が伝えられる。その中には違和感を感じるもの、怒りを覚えるものも少なからずある。いや、「少なからずある」というのは控えめな表現で、本心では、毎日そういう出来事ばかりだと思っている。


心穏やかに暮らすためには、そんな嫌な思いをする出来事は無視して、楽しいものだけに目を向ければいいとわかっている。でも、一方で、自分のいる社会の本当の姿に目を向けなくていいのか、とも思う。本当の姿を知ったところで何もできないかもしれない。しかし、それを知り、直接、あるいは間接に、感じた違和感や怒りを率直に表明することは、微力ではあるが、この社会をよりよいものにすることに貢献するはずだと思う。


そういう違和感や怒りを表明することは、軋轢を生むことも事実だ。どんなことでも多面的な見方がある。すべての人が同意見のことは、ほぼないと言っていい。だからこそ、日々様々な問題が起きるのだ。


軋轢はやがて分断をうむだろう。同じ場所・文化の中で暮らす人々が分断されるのは良くないことだ。そのことには、ほとんどの人が同意するだろうし、僕も同じ意見だ。しかし、個別の問題に目を向けた時、人々は社会全体にとってより良いこと、人類社会の大きな理想を忘れ、目の前の小さな利得に懸命になってしまう。


人類が進歩、すなわち、一段高いレベルに到達するには「正」と「反」の対立が必要なのだとすれば、一時的な「分断」も意味のあることかもしれない。しかし、永遠の分断はまったく逆の結果をもたらすだろう。


そのような「分断」をどのように乗り越えればいいのだろう。そんなことをずっと考えている。


逆説的な考えだが、僕は、さらに「分断」を進めることだと思う。そもそも、この複雑な世界を、2つや3つの考えに分けることが無理なことなのだ。ある問題に対して2つの対立する見方があったとしても、そのどちらも細かく見ていけば、さらなる「分岐」がある。それぞれはさらに細かく分岐する。それは、フラクタル図形のように続くのだ。そして最後は「個人」というものに行き着く。


結局は、生まれた国や、生活する地域や、所属する組織に縛られず、個人としてどう行動するかを考えるしかないと思うのだ。

その点で、もっとも怖いのは「考えなくなる」ということ。「寄らば大樹の陰」「長いものにまかれろ」をテーゼに生きる人が増えることは、目先の単純な答に隷属する人が増えるということだ。それは意味のない分断を生み、拡大させてしまうだろう。


日々、違和感を感じた出来事をただ表層的に眺めるのではなく、その違和感の元になった出来事に目を向けて「自分はこう思う」と考えてみることからはじめてはどうだろう。それに対して、異なる意見も出てくるだろう。その時、そこでやめずに、議論をしてみることだ。相互の理解を得るにはそのような地道なやりとりしかない。