モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

熱意と厳しさと寛容:松下幸之助「私の自叙伝」

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今朝の「オーディブル聴講」の講師は、松下幸之助。「私の自叙伝」と題した、ひとり語りで、オリジナルは昭和37年のNHKのラジオ番組だそうだ。


録音は松下幸之助松下電器の社長を退任した翌年で、少し自由になった立場で、自分が事業をはじめたきっかけやその時の出来事を振り返る内容。その思い出は構成の私たちにとって、「商売の真髄」といえるものになっている。


少年の頃働いていた自転車屋でのエピソード。いつもなら自転車を販売するのは番頭の仕事だが、ちょうど番頭が不在だったので、幸之助が売りに行くことになった。相手は大きな蚊帳問屋。当時まだ13歳だった幸之助は、以前から自分自身で自転車を売りたいと思っていた。自転車屋の親方に「幸吉、お前が売ってこい」と言われて、とても嬉しかったという。

問屋に出向いた幸之助は、先方に一生懸命、自転車のことを説明する。それを中で聴いていた旦那さんが出てきて、幸之助の頭をなでながら、「お前の熱心さに免じて自転車を買ってやろう」という。幸之助はとても喜んだ。しかし旦那は、「ただしその値段から1割引で売って欲しい」ともちかけた。幸之助は、これまで番頭さんが1割やそこら値引きして売っているのを知っていたので、「わかりました1割引でお売りします」と旦那に伝えた。


自転車屋にもどった幸之助は、さっそく、蚊帳問屋の旦那さんに1割引で自転車がうれました、と報告する。幸之助は、てっきり親方に褒められると思っていたが、親方は、幸之助にこう返す。自転車を売ったのはいいが、最初から1割引で売ってはいけない。それが商売というものだ。5歩引きでもう一度交渉してきなさい。しかし、すでに自転車を売った幸之助は納得できず、親方の前で泣き出してしまう。


そこへ問屋さんの番頭が、自転車はどうなったのかを見にやってきてた。親方は、今丁度その話をしていたんです。自転車を1割引でお売りしたというので、お前はいったいどちらの小僧なんだ、と叱ってるところなんです、と伝えた。それを聴いた番頭さんは幸之助に、今後、お前がいる限り、自転車は必ずここで買うことを約束する、と言ったそうだ。


この体験で、商いは品物の値段だけではない、とわかったと幸之助は言う。問屋の旦那や番頭は自転車の値段ではなく、幸之助の贔屓、つまり、ファンになってくれたから、買ってくれたのだ。価格や品質は商売では大事な要素だ。しかしそれだけではだめで、商売が成功するためには、人間同士の精神的なつながりが大切だということを、この経験から幸之助は学んだという。



自転車屋ではこんな話も紹介している。幸之助が15歳の時のこと。仕事がよくでき、親方にも可愛がられていた先輩がいた。ある時、その先輩が、魔が差したのか、商品をちょろまかして勝手に売ったことがあった。それが親方にばれて、親方は彼を叱り、先輩も悪かったと謝った。それでその場は収まり、親方はその先輩を許すことにした。


しかし、幸之助の気持ちは収まらない。これは許しがたいことだと強く感じた幸之助は、親方に、私は悪いことをする人と一緒に仕事をすることはできないからお暇を下さい、と申し出る。親方はとても驚いた。なにもそこまですることはない、と幸之助をなだめながら、親方も反省し、結局その先輩は辞めることになった。そんなことがあった後、店の雰囲気は引き締まり、その後、急速に発展したという。


今思うとそこまですることはなかったかもしれないし、辞めさせられた先輩には申しわけなかった、と幸之助は言う。しかし、あの時、自分の言動が店に改革を起こしたのだ。そういう厳しさが、今日の日本にも必要ではないだろうか。不正を知りながら曖昧模糊としてやっているところに、日本の弱点があるのではないか。そう、幸之助は問いかける。



一方で、幸之助はこんなことも言っている。

自転車屋での奉公の後、「電気の時代」を感じた幸之助は、大阪電灯(現関西電力)勤務を経て、松下電器を創業する。商売は順調に拡大し、3年めには社員が40人くらいになった。従業員が増えてくると、中には不正を働くものも出てくる。それを知った幸之助は、不正に手を染めた者を辞めさせるべきか、かなり悩んだという。


そこで幸之助はこう考える。今、この国で悪いことをして刑務所に入っている人は10万人ほどいる。悪いことをしたが、運良く刑務所には入っていない人はその5倍、50万人はいるだろう。当時日本の人口は5,000万人だから、100人に1人は悪いことをしていることになる。しかし、その悪人に、天皇はけっして出ていけとは言われていない。彼らも同じ日本に居続けることができている。いくら徳をもった人であっても、悪人を善人にすることはできないが、日本という国はそんな悪人を受け入れている。


このことに思い至って、気持ちがすっと楽になった、と幸之助は言う。商売は、善人だけを使うのではない。悪人も使うのがただしい商売だ、と。


その後、幸之助は、安心して人を使い、大胆に任せられるようになった、という。もともと自分は体が弱いので、人にやってもらうしかない。それもまた、商売の成功につながったのだろう、と幸之助は振り返る。


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この短い語りの中で紹介されるエピソードは、商売をする者が大切にしなければならないことを、教えてくれている。商売では商品やお金も大切だ。しかし、それだけでは商売は発展しない。その背後にあって、商売を支えているのは、人の熱意や人同士のつながりである。そして、正しさや倫理観を失ってはいけない。その一方で、寛容と信頼も大切なのだ。


幸之助が教えてくれる、ひとつひとつのことは、誰しも頭ではわかっていることかもしれない。しかし、それを身をもって体験し、実感として理解しなければ、本当の商売はできないのだ。


今朝の小一時間のオーディブル通勤は、駄目経営者の僕に、厳しく喝を入れてくれながら、暖かく包み込んでくれるような、心地よい時間だった。