モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

ウィルスは私たちに「働く」ことを考え直させるだろう

今日、うちのオフィスに、神戸大学の学生がやってきた。彼は、学生の「長期インターン」を広めたいと、友達とベンチャー企業を興したという。その「営業」に訪れたのだ。

一通り事業の話を聴いた後(長期のインターンを広めることで、ミスマッチをなくそうという事業自体は、なかなか興味深かった)、新型コロナウィルスの影響で今はインターンも控えるところが多いだろうね、そもそも就職活動自体も控えているでしょう、と話を振ると、実は彼は今年3回生になるが、ベンチャーを続ける気はなく、できれば大企業に就職したいという。しかし、就職活動が始められず、困っている、と教えてくれた。(この時点から、「営業」ではなく、学生の「相談」になってきた。)


わざわざこんな零細企業に来てくれたので、「大丈夫、そのうち混乱はおさまるよ」といった、通り一遍の励ましを伝えてもつまらないと思ったので、今回の混乱で、社会は「働く」ということを根本から考え直すことになるかもしれないね、という話をした。今まで通りの就職活動ができなくなった学生たちや、強制的にリモートワーク・在宅ワークをやらされた労働者たちは、「働くとは何か」を考えざるを得ない。そうすると、今までのように大きな組織に雇用され、毎朝出勤して夜に帰宅する、というような働き方以外の働き方もあるんじゃないか、と気づいて、きっと意識が変わるに違いない、と。


そして、今この瞬間は、君にとって逆風だと思うかもしれないけど、もしかしたら社会が大きく変わることになるかもしれない。それは若い人たちにとって大きなチャンスになるかもね、というと、それまで「型通りの優等生」っぽい彼の眼が、少し輝いたような気がした。



文章としては中途半端だということはわかっているが、この話は、今はここで終わりにしておきたい。なぜなら、この後どうするのかは、この学生やその仲間が、自分たち自身で決めることだと思うからだ。数カ月後、あるいは、数年後、世の中はどう変わっているだろうか。もしかしたら何も変わっていないのかもしれないし、今この時点では想像できないような、まったく違う生き方をしているのかもしれない。それは傍観者的な未来予測ではなく、主体的な人生計画であるはずだ。「コロナ後」を作るのは、一人ひとりの意志と行動だから。



(この投稿のきっかけとなった記事を参考にあげておく。)

www.nikkei.com