モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「デザインの常識は変わっていく」というのがデザインの常識なんだろう

wired.jp


SnapchatやTikTokといった、今、若者に支持されているアプリのインターフェース・デザインはとてもわかりにくい、という記事。なかなか示唆に飛んだ指摘だと思った。


記事にかかれているように、わかりにくいデザインは「古い世代を入れないため」という陰謀論(?)もあるようだ。その真偽は横においておくが、そもそも古い世代が「わかりにくい」と思うのは、ある種の「常識」にとらわれているからだ。自分たちが「こうだ」と思っているものと違うものが出てくると、戸惑い、時に怒りを感じる。


こういう時は、自分自身がまだ若者だった頃を思い出すのがいい。「ホームページ」なるものが企業に浸透し始めた頃、あるデザインを持っていったら、クライアント企業で「ホームページの見識がある」担当者に全面的に否定された。一番のダメ出しをくらったのが、画像を使わず、テキストだけのメニューボタンだった。たしかにその頃のフォントは貧弱で、画像をつかったボタンに比べると見た目は「しょぼい」。でも、データ量の小さいテキストのほうが、表示スピードは早いし、変更も簡単だ。僕はそちらのほうが企業向けだと思った。

今なら僕の言うことを理解してくれると思うが、当時の「まともな」ホームページのボタンは、ほぼ100%、画像でデザインしていたのだ。


他にも、当時巷で言われていた「デザインの常識」を思い返すと、その頃否定されていたデザインが、今 は普通になってたりする。まあ、人間は都合の悪いことはすぐ忘れてしまうのだけど。



引用した記事は、「これから1〜2年のうちに、厳格なデザインのルールに対する反発が起こり、もっとクリエイティヴなパターンや、リラックスしたアプローチが好まれるようになると予測している」という言葉で締めくくられている。この予測は正しいだろう。

なぜなら、「デザインの常識は変わっていく」というのがデザインの常識だからだ。