モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「無縁」で生きること

anmintei.net


れいわ新選組から立候補した、やすとみ歩さんは、れいわ新選組を「無縁者の集まり」という。最初は「無縁」ってどういうこと?と思ったが、ブログを読むと、「無縁」という言葉が心にすっと入ってくる。なるほど、と思う。

僕は、世の中の人がすべて自営業(フリーエージェント)になればいい、と言い続けてきたが、それは、やすとみさんの言葉を借りるなら、「無縁」になれるから、ということなんだろう。


僕は15年間働いた大企業をやめて、今は小さな会社を経営している。現在は、会社というのもおこがましく、ほぼ一人で仕事をしている。そんな働き方をしてきた中でのなかなか面白い発見は、大企業や大きな組織にいれば「格が違う」と言われて、対等に話ができなかった相手でも、自営業やフリーランスなら(一応、ではあるが)対等に話ができるということだ。従業員数万人の大会社であろうが、一人の超零細企業であろうが、あるいは自営業だろうが、「代表者」という肩書は同じなのだ。

要するに「偉い人と話したいなら、一人になればいい」という発見は、目からウロコの発見なのですね。半分冗談だけど、半分は真実だと思っている。肩書なんて意味ないな、と、けっして負け惜しみではなく、実感としてそう思うようになったのだ。組織から離れたおかげで。


「肩書」という外見的なことだけではない。内面的にも、自営業に近い今のほうが、大組織にいたときより自立している感覚が強くなった。一人になれば自立せざるを得ない。考え方が自然と「無縁」になっていく。そして、自立することで「生きている」という実感が、自然に湧いてくる。

そうすると、他人への関心も強くなる。不思議なことに、一人だからこそ、他の人と一緒にいるこの社会が気になってくる。大企業にいたときには、自分の周りしか見えなかったけれど、今は、もっと大きなスケールで人々が気になる。それは属する組織に縛られている状態とはまったく逆の、独立した個として社会に関わりたい、という欲求といえるかもしれない。


大組織の中にいた時と、頼る組織のない今とで、こんなに考え方や感じ方が変わったのは、前にも書いたとおり、人間、とりわけ日本人は、「組織」というものに飲み込まれすぎるからだ、と思う。周りの空気を読み、周りの人々を尊重し「和」を尊ぶ、という日本人の性質にはいい面もあるけれど、組織にいることで、自分の持つ優れた能力を殺してしまって、できることもやらないようになっていく、という負の側面は間違いなくある。自分の可能性を自分自身で潰していくのは、とてももったいないことだ。それは、社会の中での「自殺」に等しいことではないだろうか。


組織は、いつのまにか人々の心のなかに「立場」というものをつくり、立場がその人の言動を変えていく。やすとみさんの言うとおり、「立場でしか話さなない」人間になっていく。まるで、「立場」というモンスターに遠隔コントロールされたロボットのようだ。人間は社会的動物だから、組織という社会の中でどうやって行動するかを考えるのも、人間の優れた知恵だろう。しかし、今、それが行き過ぎているのではないか、と強く思う。


以上は、この十年以上ずっと考えていることなのだが、それは、大きな組織から離れてはじめてわかったことで、組織の中にいながら発見することはとても難しいことだと思う。


だから、できるだけ多くの人に、広い意味での「自営業」になってもらいたい。一人で生きてみれば、僕が感じてきたことは絶対にわかってもらえると思う。そして、毎日が、少なくとも今よりは楽しく感じられる、ということは保証する。楽しい、というのは、自分が生きている、という感覚だ。そうなったら、いつの間にか世の中のシステムが大きく変わっている、と思うんだけどな。