モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

山本太郎は、混迷した日本をまとめ、よりよい未来に舵を切らせる人物かもしれない

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最近の山本太郎の動きは、刺激されることばかりだ。今回の「障害をもつ候補者を比例区名簿で自分より上位におく」「創価学会員やLBGTQなど、多様な属性の候補立てる」という行動に驚くとともに、おそらく今まで日本の政治には感じたことのない「潔さ」と「迫力」を感じた。

それは、当たり前のことをあたり前にやってくれる政治家がようやく出てきたのだ、と言う直観につながっている。


考えてみれば、国会議員が国民の代表なら、その属性は国民全体の属性と、まったく同じとは言わなくても、できるだけ近いほうが民意が反映されるのは当然だ。

その意味で、自営業やフリーランス、障害をもった人やLGBTQ、さまざまな原因で社会と隔離されていると人たちも国会議員になるべきだ。そうでなければ、「社会的弱者」や「メインストリームにいない人たち」「組織をもたない人たち」が本当に望んでいることは、けっして議論されないだろう。これまでの政治家は、外向きの「ポーズ」で一瞬、弱者に目を向けることはあっても、自分ごととしてとらえる人はいなかった。今のように「政治屋」ばかりの国会では、社会が歪むのは当然のことだろう。

山本太郎は今までの「政治屋」とは違う、という直観がある。もしかしたら、彼の行動もまた「ポーズ」なのかもしれない。でも、ここまでやる「ポーズ」なら、本気と区別はつかないし、区別がつかないのなら、それは本気だ。人間の意識は行動によって規定される、と僕は思う。「成せば思う」なのだ。



「日本人は○○○」と言う議論はあまり好きではないが、あえていうなら、僕は「判官びいき」という言葉が、昔から日本人、とりわけ庶民の間で共有されてきたアイデンティティだと信じてきた。

しかし近頃は、「判官びいき」は陰に隠れ、代わりに「よらば大樹の陰」や「長いものにまかれろ」という風潮がますます強くなってきているように思う。強い者に従うのが人間のよりよい生き方だというなら、いまさら「イノベーション」とか「世界一」とかうそぶくのはやめてほしい。隷従は自由を奪い、創造を殺す。今ほど日本人の良くない性質が表に出た時代はないのではないか、と情けなくなる。

ここ数年で学んだのは、「力がすべてだ」という信条の人たちが国のトップに立つと、ここまで世の中は乱れるのか、ということ。僕たちはもう十分学んだ。この教訓を糧に、そろそろ次の時代を作ろう。一刻も早く次の時代に舵を切ろう。


山本太郎の考えは、本物の保守と、まっとうなリベラルの両方に訴えるものだ。先入観をなくして彼の発言を素直に聴き、彼の行動を素直に見れば、彼こそ、現在の混迷した日本をまとめ、市民の先頭に立ってよりよい未来に舵を切らせる人物ではないか、という気がしてくるのだ。