モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

理解は「考えの進化」を体験することにある

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Quoraは気に入っているウェブサイトのひとつで、いくつかの分野をチェックしている。そのひとつ、算数・数学は興味深い投稿が多い。問題や解答が面白いのはもちろんだが、おそらく数学をかなり深く学んだと思われる回答者が一般人に向けて解説・説明する、その表現とプロセスがとても面白いのだ。それは、数学者の頭の中を、少しのぞき見ているような感覚だ。


数学に限らず、どんな学問でも、きれいにまとまった最終的な答だけじゃなくて、答にいたる「筋道」、小さなひらめきからはじめて、具体的に確かめながら少しずつ一般化していく、「考えの進化」のプロセスがおもしろい。そんなプロセスを体験できると、その背景にあるより大きな問題への理解が深まるし、その学問への興味が増し、さらに楽しくなる。それは、推理小説と同じような楽しさかもしれない。


逆に、そういうプロセスを経ずに「学んだ」ものは、自分の中で深く定着しない。「知ってはいるが、使えない」知識にすぎない。学習は体験と結びついていなければならない、という仮説を支持する。

さらに言えば、それは脳の構造とも深く関わっているのだろう。脳の中には、全体の雰囲気をざっととらえるレイヤーから、ひとつのことを細かく論理的にとらえるレイヤーまで、何層ものレイヤーが重なっていて、それらが深く結びつくほど時、深い理解が得られるのではないか。

これは、あくまでも、僕が、自分自身の体験から考えた仮説ではあるけれど、この仮説をさらに「進化」できればいいな、と思う。