モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

タイマーズに叱られているような今

同世代のアーティストで、若い頃はさして興味がなかったのに、歳をとってからその価値がわかってくる人がいる。

今、僕がそんなふうに思うアーティストのひとり(ひとつ)が、タイマーズだ。

タイマーズの曲は、メッセージの塊だ。「ほんとうの世の中はこうだ。こんなだめな世の中なんだ」と言わんばかりに、過激な、しかし、真実を切り取った歌詞が攻撃してくる。メジャーになってしまったRCサクセションでは、おそらく許されなかった歌を、タイマーズという自分の分身を使って、清志郎タイマーズでは「ゼリー」と名乗っている)は世の中に出したのだろう。


たとえば「偉人のうた」はこんな歌詞だ。

もしも僕が偉くなったら(やっほー)
えらくない人の邪魔をしたりしないさ。
もしも僕が偉くなったら(やっほー)
えらくない人をバカにしたりしないさ。
もしも僕が偉くなったら(やっほー)
偉い人だけでつるんだりしないさ。
もしも僕が偉くなったら(やっほー)
えらくない人たちやさえない人たちを忘れたりしないさ。ハハハハハ。
もしも僕が偉くなったら(やっほー)
君が歌う歌を止めたりしないさ。ハハハハハ。
当たり前だろ。ハハハハハハハ。
いくら偉い人でも。ハハハハハハハ。
そんな権利はないさ。ハハハハハハハ。

強いものに媚びない、弱者への優しいまなざしが溢れた歌詞は、ミュージシャンが弱者の代弁者だった頃を思い出させてくれる。もし清志郎(ゼリー)が生きていたら、音楽産業が金儲けのツールに成り下がった現在を、どんな歌にして世の中に問うだろうか。

彼が三十年前に伝えようとしたことは、ようやく今、その意味や価値がわかるようになった。もう遅いかもしれないが、まだ間に合うかもしれない。

俺はもう歌えねえんだからさ、この歌を聴いて自分の頭で考えろ、バカヤロー。清志郎はそう言っているような気がする。