モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

生産性で人間を測る時代に・その2

自民党杉田水脈議員が、「LGBTの人々は生産性がない」と述べたことが、大きな波紋を呼んでいる。その多くは杉田議員に対する批判だと思うが、残念ながら議員を擁護する意見もある。

僕が見た「擁護論」の主旨はこうだ。「杉田議員は子供を産まないという事実を『生産性』という言葉でたとえただけである。真意は、少子高齢化の時代に子供を産まない者に対して税金を投入する施策は優先度が低くなる、それは限られた予算という制約のもとでは仕方がない、と言っているに過ぎない。杉田議員は、LGBTの人たちを『人間として生きる意味がない』とまで言ったのではない。つまり、杉田氏の発言は問題ない」。そういう「杉田擁護論」だ。


「生産性がない」という言葉を「生きる意味がない」と「誤解」したために怒ったというのもおかしいが、それは別にしても、杉田議員の発言にはあきらかに問題が多い。「杉田擁護論」も「杉田発言」も、ツッコミどころ満載だ。

もっとも根本的なことを指摘しておきたい。そもそも経済用語である「生産性」という言葉を、子供を産むか産まないかという人間的な行為にあてはめることがおかしいのだ。それがおかしくないというなら、結婚していない人、子供のいない人、子供が亡くなってしまった人に「あなたは生産性がないね」と言ってもいいことになる。それを問題ないと言うのなら、実際に言ってみればいい。あなたの評判は急落するはずだ。

百歩譲って「子供がいない=生産性がない、だから税金を投入できない」という理屈を認めるとしよう。そういうLGBTの人たちは本当に「生産性がない」のだろうか?少子高齢化の問題でも、下に引用した記事のように、LGBTの人たちが少子化にプラスになる面もある。アメリカで、家庭で暮らせない子どもたちを養子にしたいと希望するLGBTカップルが増えているという記事だ(三年前の記事なので、けっして杉田議員の発言を受けた「サヨクの屁理屈」ではないことは述べておく笑。)。

www.huffingtonpost.jp


少子高齢化は、LGBTかそうでないかという「外見的で目立つこと」が問題なのではなく、下の記事の背景にもあるような、暴力や貧困、長時間労働といった「内面的で見えにくいこと」の方がずっと深刻な問題だと思う。LGBTの人たちはその解決の邪魔者ではないどころか、解決のための協力者になりうる人たちだ。

本質的ではない「差異」だけに注目し、「生産性」などという不適切な評価基準を国民に押し付けるのは明らかにおかしい。


以上は、一民間人である僕の「個人的な意見」に過ぎない。しかし、政治家の「意見」は単なる個人的な意見でもないし、表現の自由ですべてが許されるものでもない。政治家は国民の(少なくとも選挙区民の)代表だからだ。自分の嗜好と独断だけで物事を決めることは許されない。自分からは遠いグループも含めて社会全体を広い視野で見て、少数意見にも耳を傾け、考えるのが政治家の基本だ。

一方、有権者である国民も、「目先の利益」や「誇張された脅威」に惑わされず、社会全体の幸福を目指そうとする人物を冷静に見抜き、選びたいものだ。(杉田議員は比例区当選なので、個人への信頼があって選ばれたのではないことは付け加えておく)。

最後にやや極論ではあるが。。。LGBTはだめ、移民はだめ、某国はだめ、サヨク・リベラルはだめ、。。。とか言っているうちに、日本は世界から孤立し、そう遠くない将来、ほんとうに「生産性の低い」二流国になってしまうのではないだろうか。今の政権与党の言動を見ていると、僕にはそちらの危惧のほうがはるかに大きい。