モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「働かざる者 食うべからず」が意味すること

「働かざる者食うべからず」という言葉がある。出典は新約聖書の中の「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という一節だそうだ。「働こうとしない者」という表現からわかるように、この言葉は働く能力をもっているのに働こうとしない者に向けられたもので、働きたいのに様々な要因のために働けない人を指すのではない。


ソビエト連邦共産党の初代指導者、ウラジミール・レーニンは、党の機関誌「プラウダ」の中で「『働かざるものは食うべからず』は社会主義の実践的戒律である」と述べた。レーニンは、聖書の言葉を引用して、不労所得で楽な生活を享受する資産家たちを戒めたのだ。


聖書から二千年、レーニンの発言から百年以上が経った今、「働かざる者食うべからず」という言葉は、かなり違ったニュアンスで使われているように思う。働くことなく、ぬくぬくと過ごしている人たちを戒める意味は薄れ、病気や障害、失業で、働きたくても働けない人たちを批判する意図で使われることさえある。本来、怠惰な強者を批判するための言葉が、不幸な弱者をさらに弱い立場へ追い込むために使われている。もともと弱者を救うため、あるいは、平等で格差のない社会を思って発せられた言葉が、競争社会や「弱肉強食」の世の中を礼賛するために使われているのは、とても皮肉なことだ。


そんな言葉の逆転から思うのは、今の社会にはを強ければ何をやってもいい、という空気が強すぎないかということだ。金と権力を持つ者が社会の「ヒーロー」であり、持たざる者は従っていればいい、だまっていればいい、それが当たり前という空気がただよっているような気がしてならない。

「弱者」から抜け出したい者の一部は、少しでもおこぼれをもらおうと「強者」に擦り寄り、あわよくば自分も「強者」になろうとする。

日々そのような風景を見る時、格差の拡大も差別も、その原因は政治だけにあるのではなく、すべての人の心の持ち方、世界の見方にその根があるのかもしれないと感じる。


本当に「働かざる者」として戒められるべき者が誰なのか。それをしっかりと見極め、考えてみること。そして、食べたいのに食べられない者にむかって「食うべからず」と言っていないか、自問してみることが必要ではないだろうか。

そうすることで、あまりにも身近であたり前のことであるために今まで深く考えてこなかった、「働くこと」や「食べること」の本当の意味が、わかるかもしれない。