この週末、「シャーリー&ヒンダ」という映画を観た。歩行もままならないふたりの老女が、ふとしたきっかけで「経済成長」というものに疑問を持つ。そして、経済成長とはいったい何かを知るために、地元の大学の先生やウォルストリートの財界パーティーに「突撃取材」する、というドキュメンタリーだ。
ドキュメンタリーとは言え美しい映像で、ストーリー性もあって、とても面白い映画だった。
この映画の冒頭、「経済成長と幸福」という映画のテーマを提示するように、ロバート・ケネディーの演説の動画が流れる。その中でロバート・ケネディは、人や国の価値を、GDP=国民総生産、すなわちモノの量だけで測る当時の社会を憂い、GDPでは測ることができないものにこそ、人間や共同体の価値や幸福があることを訴えた。
このメッセージが印象的だったので、もう一度見たいと思って(映画の中のシャーリーとヒンダと同じように)グーグルで検索したところ、なんとか見つけることができた。
演説は、1968年3月18日にカンザス大学でおこなったものらしい。今から50年近く前に、その後の社会を見通していたかのような問題を指摘していたR.ケネディは、やはり優れた政治家だと思う。
Robert F. Kennedy challenges Gross Domestic ...
ロバート・ケネディの演説は、こんなことを述べている。
【訳】
私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。
この国のGDPは、8000億ドルを越えた。しかし、もしGDPでアメリカ合衆国の価値を測るのなら、GDPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。
GDPには、ナパーム弾や核弾頭、街でおきた暴動を鎮圧するための、武装した警察の車両も含まれている。
GDPには、玄関の特殊な鍵、囚人をかこう牢屋、森林の破壊、都市の無秩序な拡大による大自然の喪失も含まれている。
GDPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。
一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。
GDPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。
GDPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。
つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。
GDPは、私たちがアメリカ人であることを誇りに思えることについて、いっさい教えてくれないのだ。
もしそれが、この国において真実であるなら、世界中のどの国でもやはり真実だろう。
(原文ではGNP(Gross National Product)を使っているが、現在の標準に合わせてGDP (Gross Domestic Product)と訳した。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
ロバート・ケネディはこの演説を行った3ヶ月後(1968年6月5日)、ロサンゼルスで暗殺された。犯人はエルサレム出身のパレスチナ系アメリカ人だと言われているが、この事件には謎が多いとされ、真相は闇に包まれている。
今、もしロバート・ケネディが生きていれば、どんな政治をするだろうか。
【原文】
www.theguardian.com