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モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

【再掲】個人情報保護法なんかいらない!(創造力を萎えさせる施策への危惧)

下の文章は、3年以上前に別なブログに書いたものだ。この時危惧していた問題が、今、新たに、より深刻な問題として僕たちに襲いかかろうとしている。

今、「情報の保護」の名のもとで行われようとしていることは、人々の自由な思考や行動を押さえつけ、創造力を萎えさせるだろう。そしてそれは、文化や科学技術、経済までも、すべてをじわじわと停滞させていくだろう。それを望む人が、いったいどれくらいいるのだろう?

表向きの言葉ではなく、背後にある本当の意味を、誰もが真剣に考えなければならないと思う。

          • (以下、一部修正して引用)-----

今、日本中に元気がないように感じます。

テレビや新聞では、政治も経済も教育も、毎日暗くて深刻な話題ばかりが報じられています。日本中の様々な分野で同時に問題がおきているとすれば、何か共通の根本の原因があるのではないか、と考えるのは自然です。

その根本原因とは、日本全体に蔓延している「日本はだめだと言う雰囲気」であり、もし(多少無理を承知で)具体的な施策をあげるとすれば、僕は諸悪の根源とは言えなくても、諸悪を助長する代表格は「個人情報保護法」だと思っています。

例えば、今、小中高校では同じクラスの友達の電話番号も住所もわかりません。個人情報保護法が施行され電話連絡網が配布されなくなったからです。

学校だけでなく、どこへ行っても名前や電話番号、時には年齢や性別までもが原則的に「非公開」です。

これは明らかに行き過ぎではないでしょうか? 名前も住所もわからず、それでクラスの子どもや父兄に一体感が持てるでしょうか? 人とコミュニケーションできるでしょうか。

それとも、国は、国民のコミュニケーションなど不要だ、と言っているのでしょうか。

人のプライバシーを守ることは大切です。情報公開が不幸にも差別や脅しを助長することもあるでしょう。でもこれは、「交通事故が一件でも起きるなら原則車は禁止する」と言っているようなもの。そこまで人間の自浄作用を信じなくなったこと自体が問題です。本来、道徳や慣習がカバーすべきところに法律が入り込み、法律に頼ることで個々が自立の精神を失ったことこそ、日本をだめにした原因だと思うのです。

もっとも国が悪いだけでなく、世の中には「ルール好きな人」が結構います。法律が施行されれば「生きがい」のように盲目的に従う人々です。こういう人はたいてい、正義感や道徳性が強いのではなく、猜疑心が強く、法律を犯すことによって他人から非難されることを恐れているだけです。

自分自身がクレーマーだから他人にクレームをつけられたくないのでしょうか。情けない限りです。

人の目を恐れて萎縮する人や、自分では何も考えず、与えられたものにただ従う人、あるいは必要以上に相手を攻撃する人。そんんた人たちを見るたびに、がっかりします。

もう一度自分で考える「権利」を取り戻し、人々の結びつきを取り戻すことが、今もっとも重要ではないでしょうか。その第一歩が、個人情報保護法など一刻も早くなくすことだと思うのです。

ただ、「いかに巧妙にルールを破るか」は、ある意味クリエイティブな活動で新しいものを生み出す鍵だ、と言う点では、たまには悪法も作っていただかねばなりませんけど。

(出典:サイエンスメディアな日々・インフォグラフィクスな日々「個人情報保護法なんかいらない!」 2010.8.11)



追記
その後、いわゆる特定秘密保護法が可決された。世の中はさらに悪い方向へと進んでいる。国民が萎縮する社会を望むのは誰なのだろう?そもそも国民の権利を犯してでも守る「国の秘密」ってなんなのだろう?そこには、国家と国民が対立する暗黙の構図がある。国家とはなにか、政府は何をすべきなのか、という根本的な問題を、国民全体で議論したほうがいいんじゃないだろうか。