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モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

季節と暦

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少し前のことになるが、モリサワ文字文化フォーラムを聴講した。今までも何度か参加させてもらったが、毎回、知的な刺激をもらえるたいへん良質のイベントだ。

今回のテーマは「和歌に詠まれた四季」。講師は冷泉家の第25代当主為人氏のご夫人、冷泉貴美子さんだ。冷泉家は、先日天皇陛下がわざわざ訪れたことでもわかるように、日本の伝統文化を支える重要な家系だ。

しかし、正直なところ僕は文芸や歴史に疎いので、今回の講演の内容は理解できるかどうか不安だった。日本の伝統文化を丁寧に解説してくれても、興味が持てるだろうか?そう思いながら臨んだフォーラムだったが、良い意味でまったく予想を裏切られた。冷泉貴美子さんの話は、僕のような門外漢にとってもとても面白く、知的で、1時間半の講演はあっという間だった。

多くの興味深い話が詰め込まれた濃密な講演だったのだが、特に印象に残った「季節」の話だけでも書いておきたい。


日本の旧暦と西洋から来た新暦(太陽暦)では、月がずれている。例えば、旧暦の1月は、新暦の2月初旬にあたる。今でも正月を2月初め頃に祝う地域があるが、あれは旧暦の正月にあたる。旧暦では、1月から3月が春、4月から6月が夏、7月から9月が秋、10月から12月が冬になる。そして、各季節の最終日が「節分」、各季の初日はそれぞれ、立春、立夏、立秋、立冬と呼ばれた。「鬼は外、福は内」の節分は、本来、大晦日に行うから意味がある。また、立春や立秋がニュースの話題になるのは、教えてもらわないといつなのかわからないからだ。旧暦では、季節と日付がマッチしていて大変わかりやすい。


さて、旧暦の1月1日、つまり、春の始まりは、今の2月初め頃になるわけだが、この頃はまだ寒い季節だ。なぜそんな寒い頃を春と呼んでいたのだろうか?実は、今と昔では、季節の捉え方が違うのだ。現代は、季節を暖かさや寒さ、つまり気温で計る。しかし、昔の人々は、日の長さで季節を捉えていたのだそうだ。

例えば、春、夜と昼の長さがちょうどおなじになる春分は、今の暦だと3月21日頃になるが、これは旧暦だと春のちょうど真ん中に来る。と言うより、春分を中心にした3ヶ月を「春」と決めたのだ。だから、春の始まりは今の暦の2月初旬になる。同様に、もっとも日が長くなる夏至の前後3ヶ月が夏、秋分が秋の真ん中、冬至が冬の真ん中、というわけだ。


このような旧暦では、1月、つまり、春の最初に咲く花が梅なので、梅が「新春の花」として愛でられた。年賀状に「新春」と言う言葉や梅の花を書く風習は今でも残っているが、季節がずれているのでピンと来ないのだ。また、七夕も、本来は約1ヶ月後の今の暦で8月中頃になる。現在の7月7日はまだ梅雨の途中で、七夕の星空を見られるチャンスは少ないが、旧暦だとその1ヶ月後の夏本番になるので、織姫彦星に会えるチャンスも高かったわけだ。今でも東北地方の七夕は8月に行われているが、その方がずっと七夕らしい。

このように、旧暦で考えると、季節や季節に関する言葉・風習の意味が、すっと腑に落ちる。生活が、文化や自然と一体化していた旧暦の方が、今よりずっと合理的で、ある意味、科学的かもしれない。

こういう話を知ると、日本の文化が愛おしく思えてくる。世の中を見る新しい目と感性を与えてくれた、冷泉貴美子さんとモリサワさんに、心から感謝したい。


今日は新暦の七夕。もし今夜、星空が観られなかったら、今年は旧暦で七夕を祝うのも良いかもしれない。