モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

「TACHIBAフリー」が世の中を変える

以下は、関西ネットワーク・システム(KNS)のメンバーズコラムに寄稿した原稿である。以前書いた「立場という怪物から逃れる生き方」が下敷きになっているが、僕の仕事観をまとめるよい機会になったと思うので、その一部をこのブログにも載せておくことにした。

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立場という怪物

現在の仕事を始める前は、某大手重機械メーカーでエンジニアとして働いていました。携わった開発の仕事は楽しく、日々得られる新しい知識や経験は刺激的で、海外企業との共同開発など、やりがいのある仕事も数多くやらせてもらいました。一方で、会社員として働く中で、違和感をおぼえることもありました。そのひとつが、会社(組織)では常に「立場を踏まえた行動」が優先されると言うことです。「社員なのだから、会社の《目先の》利益に反することをしてはいけない」、「自分が所属する部署の目標を最優先に行動しなければいけない」というような暗黙の制約です。これらがもし会社の発展や社会貢献につながる前向きな考えに基づくものなら歓迎すべきことですが、往々にしてもっとレベルの低い動機、「こんなことを言ったら上司ににらまれる」とか「これをやったら出世できない」と言うような行動原理が、知らぬ間に幅を利かせるようになってしまうのです。

 

人は誰しも社会的に認められたいという欲求を持っています。本来、社会とは社会全体、つまり世の中を指すはずですが、組織に属すると自分では気がつかないうちに、社会=組織と言う狭い視野になり、上のような思考パターンに陥ってしまいます。いわゆる「ムラ社会」の一員となってしまうのです。さらに恐ろしいのは、上司や経営者、顧客に直接指示を受けたわけでもないのに、「自分の立場上、こう行動しなければならない」と勝手に思い込んでしまうことです。それはまるで「立場という怪物」に支配されてしまったゾンビ状態で、傍から見ればかわいそう、あるいは滑稽にさえ見えるのですが、自身を見失った自分だけは気づくことがない、と言う哀れな状況です。

 

跳ばなければ、飛べない

そんなことはわかっていても、自分の立場を越えた(と自分が思っているだけかもしれませんが)発言や行動は、文字通り「地に足が着いた」状態を壊すことに思えて不安になるし、勇気がいることです。毎回「清水の舞台から飛び降りる」わけにもいきません。

 

でも、組織というのはもともと人が作ったものです。それに人が縛られるって言うのはおかしくないでしょうか。組織という入れ物が先にあって、そこで人が働くのではなく、自立した人々によるダイナミックな活動が結果として組織として見えている。それが本来の姿だと思うのです。

つまり、そのような組織に依った「立場」なるものは、さして確固たるものではないし、そんな儚いものを宝物のように守ることは馬鹿げています。慣れ親しんだ居場所を離れるのは一瞬怖いものですが、勇気を出して地面を蹴ってみれば、もしかしたら空を飛べるかもしれない。今まで自分に見えなかった、もっと広い世界があるかもしれない。逆に、跳ばなければ、けっして飛ぶことはできない。そう思うのです。たしか、こんな格言もありました。「片足を地面につけたまま、泳ぎ方を学ぶことはできない。」

 

自分の才能を使わないのは罪

僕はキリスト教徒ではありませんが、プロテスタントの教会に通っていたことがあります。率直に言うと、聖書に書いてあることが真実だとは思えなかったのですが、牧師さんの言葉からは多くのヒントをもらいました。そのひとつが、「与えられた才能を活かさないことは罪である」というキリストの教えです。

僕はこれを、自分の不得手なことをするよりも得意なことをする方が、より世の中の役に立つことができる。自分が得意なことを使わないのは、関わっている人々への裏切りである、と解釈しました。この教え、すごく納得しませんか。(ちなみに、欧米人、特に米国人がどんな場所でも自分の考えをはっきり述べ、自分中心に行動するのは、この考えが根本にあるからではないかと思っています。)

 

自分の才能を活かすことを第一の行動原理にするならば、立場などはどうでも良い、とまでは言えなくても、少なくともそんなに重要なものではなくなるはずです。

 

「TACHIBAフリー」な生き方を

立場に固執しない、『TACHIBAフリー』な生き方」は、けっして自分勝手な生き方をすることではありません。個人個人が、立場よりも自分に与えられた才能を活かすことを優先する生き方です。与えられた才能を活かそうとする自立した人々が、お互いに協力しあう場。それが僕の考える理想の組織です。そして、そこでは「立場」と言う言葉は不要です。一人ひとりが「TACHIBAフリー」になれたら、世の中は絶対に良くなる。そう思います。

 

出典:KNSメンバーズコラムVol.158, 2013.4.3