モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

森毅さんの思い出

森毅さんが亡くなってから、2年以上が経つ。森さんは数学者で京大の名物教授、「やわらか系文化人」として有名だった。僕と同年代か、少し上の世代で、森さんを知らない人はいないだろう。

僕が学生の頃、森さんはまだ現役の教授で、野次馬的に授業を受けたことがある。変分法の講義だった。それまでにテレビや雑誌でいろいろと森さんの面白い言動を見ていたので、「講義は思ったほど面白くないな」と不遜な感想を持ったことを思い出す。大学の講義をバラエティ番組みたいにできるはずがない、と分別が多少ついた今なら思えるが、当時はそんなこともわからず、「過大な期待と落胆」があった。

大学の学園祭(11月祭)では毎年、森さんは大活躍していて、僕もいくつか講演や対談を見に行った。浅田彰氏との対談イベントで、浅田氏が森さんのエッセイを「間違いなく今年最高のエッセイ」と大絶賛したのに影響され、それが、森さんの著作を読むきっかけとなった。

実は学生時代の記憶は曖昧で、当時読んだはずの本の名前も思い出せないのだが、その後会社に入って10年くらいした時、長らく本棚の隅にあった一冊のが偶然目にとまり、何となく読み始たことがある。「アタマをオシャレに」と言うエッセイだった。

ページを読み進めるうちにどんどん本に引きこまれていった。その頃、仕事に疲れ気味だった僕を、森さんの軽妙な語り口が癒してくれるような気分だった。森さんの語りの全編に貫かれた「気楽に生きればええやん」と言うメッセージのおかげで、肩の荷が降りたと言うか、開き直られたと言うか、心がとても楽になったことを今でも覚えている。

その後数年して僕は会社をやめて起業したが、それは森さんのエッセイのおかげ(せい?)と言っても良いかもしれない。

森さんが亡くなる少し前、変分法に関係する少しハードな翻訳本(「数学は最善世界の夢は見るか」)を読んでいた。数学から物理学、さらに哲学までもを論じる、自由で壮大な本だ。考えてみると、僕がこのような本を読むのは珍しいことで、森さんの死と重なった偶然に不思議な思いがした。森さんからの贈り物に違いない、と勝手に信じている。

森毅さんや河合隼雄さんのような、軽妙な語り口と自由な発想、鋭い洞察をあわせ持ち、とりわけ若い人に勇気を与えてくれる学者がいなくなっていくのは、とても寂しい思いがする。