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モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

そろそろ直接民主制やってみては?

衆議院選挙が近づいてきた。今回は政党乱立状態で、しかも選挙の争点が多い。さらにマスコミのフィルターにかかった情報ではなく、できるだけ本人の発言や政党の公式見解を比べたい。しかし、マニフェストや候補者の発言を詳しく調べるほど混乱してくる。とても全部は見切れないし、たとえ全てを見ることができたとしても、おそらくクリアな結論は出ないんじゃないかと直感が言っている。

 

混乱の原因のひとつは、様々な争点〜原子力発電、TPP、増税社会保障、経済政策、教育、などなど〜が多すぎるため、その組み合わせが膨大になってしまうことだ。すべてが自分の考えにあった政党がないのだ。(そもそも、各論点に対し単純にYesかNoではないので、さらに膨大な組み合わせになる。)

こういう状況はもちろん以前からあったし、すべての政策が考えに合致しなくても最も近い政党を選んできたわけだが、今回のように争点の多くが自分たちの将来に深く関わる重要事項になると、簡単に目をつぶるわけにはいかなくなる。「平均点」だけでは選べないのだ。

 

どこで妥協すれば良いのだろうか…と考えた末、たどり着いたのが、現在の選挙の根幹にある間接民主主義に対する疑問だ。平たく言うと、選挙で選んだ代議士に国政を委任するというやり方は、そろそろやめてもいいんじゃないだろうか。

その背景には、インターネットの普及がある。最近の様々な国の「民主化」運動の背景にソーシャルネットワークがある、と言われるように、市民はインターネットを使って、国に対して声を上げ、国レベル(必要なら世界レベルでも)で意見を交換し、団結できるようになっている。日本では、選挙期間中はインターネットを通じた選挙活動は禁止のようだが、事実上、細かいところまでは取り締まることはできないだろう。少なくとも国民は、TwitterFacebookで政党や政治家の情報をやり取りしている。


デファクトスタンダード」のコミュニケーション・ツールとなったインターネットを制限するのではなく、開き直って思いっきり活用してはどうか。インターネットによる直接民主制の実験だ。主張が曖昧で、政局で言動がころころ変わるような政党を選ぶのではなく、個別の議案に対して直接国民が賛成・反対を行う、すなわち国民投票を行う。その環境は十分整っている。

「インターネットにアクセスできない人もいる」と言う反論があるなら、希望する国民にネット端末を配れば良い。子ども手当よりもはるかにコストもかからない上に、ネット端末は選挙だけでなく、防災・減災や、介護、各種の手続きなどにも利用できるし、必要なら個々にあわせてカスタマイズすることもできる。税金を使うに値すると思う。(税金を払いやすくもなる!)

夢物語だろうか? 僕には、今、草の根で起きている市民の動き〜オープンとシェアを基本にしたインターネット文化〜を見ると、けっして夢物語には思えない。 むしろ、こういう普通の人々の間におきている変化に最も疎いのが、政治家や既得権益を持った人たちだ。

もしかしたら、気づいているけれど、自分たちにとって危険な動きをなんとか抑えこもうとしているのかもしれない。でも、それは無理だと思う。すぐ近くの一党独裁国でさえ、ネットの取締はできていないのだから。無駄な抵抗はやめて、世界の見本となるような新しい国を作りませんか。