モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

科学におけるプロとアマ

2006年の初め、当時、西はりま天文台の研究員だった森淳さんの協力で、彗星と生命の起源とのつながりをテーマにした科学映像を制作していた時のことだ。同じ時期に、たまたま森さんがホストを務める第36回彗星会議が西はりま天文台で開催されると聞き、取材をかねて特別に出席させてもらった。

彗星会議 とは、文字通り彗星について議論する集まりで、1971年から年に一回開催されてきた歴史ある会議 である。

 

初めて参加した僕がまず驚いたのは、参加者の肩書きだった。彗星会議の百名近くの参加者は、大学や研究機関からの「プロ研究者」よりも、いわゆる「アマチュア天文家」の方が圧倒的に多かったのだ。さらに驚いたのが討論の様子だった。アマチュアとプロが対等どころか、時にアマチュアの方がプロよりも偉そうに語っているのだ。ワーキンググループの討論では、アマチュア天文家がプロの研究者にむかって、「その方法ではだめですよ」とか、「僕ならこう考えますね」など、「専門家」として対等以上の立場で意見を述べていた。プロの研究者も、アマチュア研究者からの意見を尊重し、頼りにしていることが伺えた。会議全体が大変熱気があり、発言は積極的・オープンで、とにかく誰もが楽しそうに議論している様子が印象的だった。

 

彗星観測は歴史的にアマチュアが活躍してきた分野だ。今でこそ彗星発見も大きな天文台が関わることが多くなったが、地道な観測が重要であることは変わりない。彗星を発見した人は、参加者の暗黙の了解で、一段高いランクにいるのが面白かった。いわゆる「神」と言うやつだ。彗星発見だけではなく、彗星の軌道計算で世界的権威のアマチュア天文家もいる。自分のホームページで軌道計算結果を公開し、そのデータは国内外のプロの研究者が参考にしているのだ、と教えてくれた。

 

彗星会議の光景は、それまで「科学者・研究者=プロ」だと漠然と思っていた僕にとって、とても衝撃的だった

 

物理学者の佐藤文隆さんの著書に「科学者が職業となったのはせいぜいここ100年くらいだ」と書かれている。確かに現在は「科学者」として知られている歴史上の人物を調べてみると、本職は牧師だったり行政官だったり、本来の仕事は別にあって、科学はあくまでも「趣味」としてやっていた人が多い。つまり、昔の科学者はほとんどが「アマチュア」だったのだ。

 

現在、科学は「職業」になった。それにはもちろん理由はある。科学技術が深化したことで、個人レベルの活動では進めることができない、いわゆる「ビッグ・サイエンス」は確実に増えたし、科学者個人にとっても、職業として長期的な研究活動を安定して行えるのは良いことだ。しかし、そういうメリットはあるにしても、本来自由であるべき科学に、不要な社会的なしがらみができてしまった、と言うマイナスの面もあるのではないだろうか。科学的活動に対して報酬(税金や企業からの資金)をもらえば、従来の枠組みを壊す新しい発見や、政策とはあわない技術、とても地道な、いつ役に立つかわからない研究など、その時期や社会の「空気」と異なることがやりにくくなり、創造的な活動が生まれにくくなるのではないか。

 

もし、プロ科学者が日々の「仕事」に疲れ、科学に対する探究心や好奇心が薄れているのなら、アマチュアだった時のわくわくするような気持ちを思い出して欲しいと思う。

 

研究と科学普及の両立に骨身を惜しまない努力をされていた森さんは、2007年、35歳の若さで亡くなった。僕は科学者ではないが、仕事に行き詰まった時は今でも、森さんの導きで参加した彗星会議の体験と、森さんの言葉を思い出す。大切なことは、真剣に、でも、楽しみながら科学に向きあうことなのだ。そこではプロもアマも関係ない。森さんが教えてくれたことは、今でも大きな支えになっている。

 

注)本ブログは、2010年8月にNPOあいんしゅたいんに起稿した第63回:「科学におけるプロとアマ」by 保田 - NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいんを改訂したものである。