モノオモイな日々 Lost in Thought

過去の覚書、現在の思い、未来への手がかり

仕事とは「型」を身につけること

先日、とても示唆に富んだ文章を読んだ。6号:日米仏の思考表現スタイルを比較すると言う論説だ。そこにはこんなことが書かれていた。

日本の作文教育はある時点から、「自由に書くこと」が良しとされ、「型」を教えることをやめた。(筆者は、皮肉を交えて「自由に書くことが唯一の型となった」、と表現している。)一見、自由に見えるアメリカでは逆に、徹底的に「型」を叩きこまれる。その結果、状況に応じて様式を選ぶ力が身につく。実は、「型」とは表現方法なのだ。多くの「型」を持っていれば、多様な表現が可能になる。対して「型」を知らない日本人は、表現力の面で劣ってしまう。

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実は、僕は長らく周りのスタッフに物足りなさを感じてきた。ひとつひとつの仕事はまじめにやっているし、知識もそこそこある。しかし、総合的な仕事の質としては、何か満足できないのだ。その答え(の一部)を、この文章が与えてくれたような気がする。彼ら・彼女らに足りないのは、「型」だったのだ。

 

例えば、提案書を書かなければならないとする。「売り」は何か、どんなデザインにするか、誰に協力してもらうか、どんなスケジュールにするか、費用はどれくらいか。提案書には、そういった個々の要素はもちろん必要だ。しかし、たとえ要素が全てそろっても、それだけでは良い提案書にはならない。それらの要素を、提案書として適切な形にまとめなければならない。その時、「型」が必要なのだ。

多くの「型」を持っている人は、早く、効果的に書類をまとめることができる。しかも、他の人にもわかりやすい書類になる。書類だけではない。会議の型、調査の型、企画の型。あらゆる活動に「型」が役立つ。

つまり、仕事とは「型」である。極端に言えば、「型」があれば、中身がなくてもどうにか形にできる。逆に、「型」がなければ、どんなに素晴らしい内容も、人に伝わらない。

 

「型」を身につける。そういう意識を持てば、仕事を効率的にこなせるだけでなく、自分自身も早く成長できるだろう。最初は他人の「型」をまねながら、徐々に自分の「型」を作っていけばよい。そこまでくれば、立派な専門家だ。専門家とは良い「型」を数多く持ち、状況に応じて使い分けられる人かもしれない。

 

いつか「型破り」な仕事ができる人間になりたければ、まず「型」を身につけることから始めることだ。